投稿者: えのきりょう

  • 2026.05.31 三位一体の主日 栄光は父と子と聖霊に。神は今あり、かつてあり、また来られるかた

    ◆第一朗読 出エジプ記 出エジプト34.4-6,8-9

    ◆第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 Ⅱコリント13.11-13

    ◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ3.16-18

    ◆ジョニー神父様のお説教

     三位一体という言葉を聞いて、わたしが思い出すこと・・・。それは、まだわたしが日本に来て間がない頃のことです。当時の総理大臣であった小泉純一郎氏は政治の話でしばしば「三位一体」という言葉を使って話をしていました。しかしながら、誤解がないようにしていただきたい。というのも、その「三位一体」と、教会が教える三位一体は同じではないのです。

     教会の教えている三位一体はどういうことでしょうか。

     教会が教えている三位一体は、信仰の神秘です。信仰なくしては理解することはできないものです。「父なる神」「子なる神」「聖なる神」3つの位格がありながら、神は唯一の神です。三人の神がいるのではありません。気を付けないと3という数字にとらわれて頭で考えると、1+1+1=3のように神様が三人集まって神であるということになってしまう。そうではありません。

     たとえば、両手を合わせて器のようなものができるとしましょう。この器のなかに父と子が入っている。唯一の神の中に父と子が永遠の約束のうちに共におられる、それがすべて集まったときに神になるのです。別のもので例えるならば、虹のようなものです。虹は7色の色が集まって美しい虹になる。その中からひとつだけ取り出して、青色だけではきれいな虹とは言えない。黄色だけではきれいな虹とは言えない。7つの色が集まってできたときだけ虹になるのです。

     父は私たちを愛し、イエスは十字架の死によって救いを完成させ、永遠にともにいてくださっています。私たちはこの神の愛の中に招かれているのです。

    ◆トピックス

     今日は第5日曜日ということで国際ミサでした。朗読と共同祈願は日本語、ベトナム語、英語で、主の祈りはそれぞれの母国語でささげられました。

    ◆感想

     三位一体を理解することは簡単ではないと思います。昨年お説教で三位一体の説明を聞いてから、わたしも十字架を切るとき等、折に触れ三位一体を理解しようとしてきました。頭で理解してしまおうとするのではなく、信じることが大事なのだと思いました。

     <叙唱の味わい> 聖書と典礼より引用

     父なる神、全能永遠の神、いつどこでも主・キリストによって賛美と感謝をささげることは、まことにとうといたいせつな務めです。

     あなたは御ひとり子と聖霊とともに唯一の神、唯一の主。私たちは父と子と聖霊の栄光を等しくたたえ、三位一体の神を信じ、礼拝します。

     天使と大天使は神の威光をたたえ、わたしたちも声を合わせて賛美の歌をささげます。

  • 2026.05.24 聖霊降臨の主日 五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると・・・

    ◆第一朗読 使徒言行録2.1-11

    ◆第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 コリント12.3-7、12-13

    ◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ20.19-23

    ◆ジョニー神父様のお説教

     先週は主の昇天、イエスが天に昇られた話をしました。その昇天の時、イエスは残される弟子たちにある約束をなさいました。それは、聖霊です。弟子たちに聖霊を送ってくださることを約束してくださったのです。イエスが十字架につけられて殺された後、弟子たちは自分たちも同じように捕まえられて殺されるのではないかとおびえて、家の中に鍵をかけてみんなで集まっていたのです。そこに聖霊が遣わされました。聖霊はひっそりと下ったのではなく、激しい風と共にくだりました。聖霊が下ると弟子たちが語る言葉を聞いている人々はそれぞれ自分の故郷の言葉で理解したのです。姫路教会のように英語、ベトナム語、日本語、ポルトガル語、スペイン語など多くの言語を話すそれぞれの人がたちがいる中で、ジョニー神父が説教をするとき、ジョニー神父がリンガラ語で説教をするのに、皆さんが同時にそれを自分の故郷の国の言葉で理解するという不思議な体験です。聖霊をいただいて、怖がっていた弟子たちは励まされ、勇気づけられ、おそれることなく宣教に出ていきました。そして、弟子たちだけにこの聖霊が送られたのではありません。弟子たちの話を聞いていた人たちにも聖霊が送られたのです。神様のお恵みは狭い部分に限って送られるものではなく、広くみんなに注がれているのです。

     聖霊のプレゼントがあります。それが賜物です。ある人は上手に歌を歌ってミサに奉仕することができる、ある人は上手に朗読することができる、ある人は上手にミサの準備を整えることができる、ある人は初めて教会を訪れた人のお世話をすることができる、ある人は上手に花を世話できるなどなど、みんなが何かしらみんなのために発揮できる力を授けられています。そしてその力は神様から来ています。人間は力が授けられると、どうしてもそのことで優越感をもってえらそうにする人もいて、それが原因で人々の中に不和や争いが生まれることがあります。しかしその力を送ってくださったのは神であり、みんなが信仰し、賛美するおなじひとつの神なのです。だから同じ神からいただいた賜物のことで争ったりすることは間違ったことです。神は一致と平和を望まれています。

     福音書では聖霊を受けなさいと書いてあります。教会に来て、祈っているけれども聖霊の働きを感じたことがないという人もいるかもしれません。それは聖霊がはたらくことを妨げているからかもしれません。聖霊がはたらくために必要なことは、何でしょうか?

     聖霊がはたらく為には祈りが必要です。祈らなければ聖霊ははたらくことができない。祈らなければ祈ることができなくて、聖霊ははたらけない。祈ればますます祈りができるようになって、聖霊がはたらくことができる。

     こんなことを言うと怒る人がいるかもしれませんが・・・信者であっても、「アベマリアの祈り」を唱えられない人がいるかもしれません。プリントやプロジェクターで見せてもらえないとアベマリアの祈りが口から出てこないようでは祈っているとはいえない。「聖書と典礼」冊子の中には共同祈願が書かれています。これは教会ごとに唱える祈りの例文であるとされているにもかかわらず、みなさんは毎回これを書いてある通りに読んでいる。みなさんは本当にそのことを祈りたいと思っているでしょうか、それともそのことを祈りたいのかどうかわからないとおもいながら読んでいるのではないでしょうか。プリントに書かれているから読んでいるという状況は本当の祈りとは言えない。書いてあるから読んでいるというのであれば紙の奴隷になっているだけになってしまいます。カトリック信者であるならば、「主の祈り」「アベマリアの祈り」「使徒信条」などミサの中でも唱える祈りは何も見ないでも唱えられるようになったほうがよいでしょう。

     祈りは、祈れば祈るほど上手になります。聖霊は祈りがあるところに働きます。聖霊のおめぐみがいただけるように、聖霊の働きを妨げることがないように、祈りましょう。今日は信徒総会があります。総会が皆さんの一致と協力のうちに良いものになるように聖霊のはたらきを願って祈りましょう。

    ◆トピックス

     今日は信徒総会がありました。初めの祈りで始まり、終わりの祈りで閉会しました。小教区の現状、評議会と委員会活動の報告、会計報告、監査報告、質疑応答を聞くことができました。

    ◆感想

     去年のジョニー神父様の説教で、祈りはトレーニング運動と同じで、すればするほど上手になる。聖霊がはたらくことができるように祈りましょうと言われたことを思い出します。そしてたしかにそうだと実感します。

     先日東京四谷にあるイグナチオ教会の朝ミサに与りました。そのあとその教会に通われているご婦人と話をすることがありました。その方は、毎日電車でこの教会に通い、ご聖体をいただき、み言葉を聞いて、み言葉を味わいながら一日を過ごすという習慣を毎日続けておられます。その方が言われるには、「毎日ミサに与ると自分で決めて実行していると、不思議なことにちゃんと毎日ミサに与ることができるようにいろいろな調整がはたらいてミサに与れている。祈れば祈るほど豊かにお恵みをいただいている」ということをおっしゃっておられました。これは祈れば祈るほど上手に祈り聖霊がはたらくことをそのとおり体験された方の言葉なのでしょう。

     

     

     

  • 2026.05.17 主の昇天 イエスは彼らが見ているうちに天に上げられた

                        写真:築地教会

    ◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録1.1-11

    ◆第二朗読 使徒パウロのエフェソの教会への手紙 エフェソ1.17-23

    ◆第三朗読マタイによる福音 マタイ28.16-20

    ◆築地教会 レオ主任司祭のお説教

     子どもたちに質問をすると、すぐに答えが返ってきます。好きな食べ物は何ですかとか、子どもたちに尋ねると、すぐ答えます。それに比べると大人たちに質問するといろいろ考えてから答えようとするので返事を聞くには時間がかかりますね。

     それでは、「天国はどこにあるのでしょうか?」と質問したら、皆さんはどうこたえられるでしょうか。使徒信条では、

    主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
    ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、
    十字架につけられて死に、葬られ、
    陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、
    天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
    生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。

    と唱えます。天に昇って神の右の座につき・・・と唱えますから神様を思うとき私たちを見下ろす高いところにおられる神様を思い浮かべるかもしれません。伝統的な日本の宗教でも、神様は奥深い山の高いところにおられるように描かれることがあります。むかしから神様に出会いたい人は山に登りました。山というところは、一般の社会から離れているところ、心静かに神を求め祈るところと考えられでしょう。

     天国とは場所のことではなく、神様に出会うところ、神様とつながるところを指しているのではないでしょうか。私たちが心静かに祈り、神様の言葉を受け入れてその福音を証しするとき、これがすなわち私たちが神に出会っている瞬間であり、私たちも天国にいるということなのではないでしょうか。

    ◆感想

     今日は東京の築地にある築地教会を巡礼訪問しました。こちらの教会の主任司祭でいらっしゃるレオ神父様にひとめお会いしたいという目的もあり、主日のミサに与りました。教会の建物は写真の通り立派で歴史を感じさせる建築物です。外見からは石やコンクリートで作られた古代ギリシャの神殿を彷彿としますが(写真上)、一歩中に入ると木造の調度品や落ち着いた色調のステンドグラスの光が差し込み、温かみを感じます(写真下)。

     9:30ミサ開始のところ、9:00前では聖堂は信者の姿はまばらでした。9:15から司祭の先唱でみんなでロザリオの祈りを唱えました。ミサ開始の頃には外国からの観光客と思われる方も多くおられ、聖堂は満席になりました。日頃からロザリオの祈りに招かれていると強く感じながらも、実際にロザリオをまさぐる習慣を失っていた私ですが、この日はちゃんとロザリオも持ってきており、ロザリオの祈りをささげる機会に恵まれました。このような形でロザリオの祈りに招かれたことで聖霊の働きを深く感じました。

     主任司祭であるレオ神父様は、ミサ前から洗礼式や聖堂内の様々な対応、ミサ後も外国からの訪問客の紹介を受けたり、ひっぱりだこでした。少しすきを見計らって声をかけ、直接ご挨拶できてとてもうれしかったです。35年ぶりの再会でした。

     

    築地教会のホームページより引用:

    『エル・デコ(ELLE DECOR)』日本版デジタルに紹介されています

    5月16日から開催される「東京建築祭2026」の紹介記事に、「特別公開」として築地教会が掲載されています(公開は5月23日-24日)名建築3【銀座・築地】の二番目に掲載されています。

    主任司祭 レオ・シューマッハ神父(Leo Schumacher)

    「築地教会は教区の教会ですが、現在の主任司祭はコロンバン会のレオ神父です。」

    1961年にニュージーランドの北島のタナラキ山のふもとで生まれました。家では100頭くらいの乳牛を飼っていました。子供の頃はラグビーなどのスポーツやアウトドアを楽しみました。ミッション系の中学高校で友達が神学校に行った事がきっかけで召命に興味を持ち、聖コロンバン会に入会しました。

    1988年,27歳の時に日本に来ました。東京大司教区の豊島教会、高円寺教会、関口教会、目黒教会などで司牧をしてきました。

    東京教区は姉妹教会であるミャンマーの教会を40年以上支援しています。毎年11月の第3日曜日は「ミャンマー・デー」で、特別献金で神学校の支援を行っています。軍事政権が50年続いていましたが民主化が進みやっと神学校の改修工事が出来るようになりました。いまも、3つ目の建物を建てています。毎週第4日曜日にはミャンマー人シスターと協力してミャンマー語のミサも行っています。

    「『こじか』2020年11月号掲載の紹介文から引用」

  • 2026.05.10 わたしを愛する人は、わたしの父に愛される

    ◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録8.5-8,14-17

    ◆第二朗読 使徒ペトロの手紙 ペトロ3.15-18

    ◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ14.15-21

    ◆ジョニー神父様の説教

     今日のミサに与って、皆様はどんなメッセージを持ち帰られるでしょうか。今日はまだまだ復活節です。この時期に朗読されるのが使徒言行録です。使徒言行録には教会の誕生、成長、発展の物語が書かれています。

     今日の話はサマリアでの話です。サマリアはエルサレムからは離れていて、現在のパレスチナのあたりになります。現代のカトリックの総本山はバチカンですが、当時はエルサレムがバチカンに相当する場所でした。サマリアの町でフィリポはしるしを行って人々に洗礼を授けていたが、その教会の発展ぶりがうわさになり遠くエルサレムからペトロとヨハネが見に行きました。そしてそこでペトロとヨハネはまだ洗礼を受けただけの人々に聖霊のたまものを受けるようにと按手(あんしゅ)しました。これは現代の堅信式で司教様が受堅者に按手をされることと同じで、聖霊のたまものを受けるようにというものです。ペトロは初代教皇となられた方です。聖霊は目には見えません。しかし、信仰があれば聖霊の働きを感じることができます。按手によって聖霊の恵みを受け、聖霊の働きを妨げないように注意して神様の教えに従ってまいりましょう。

     第二朗読では、信者の取るべき態度と行いについて書いてあります。そもそもミサとはいったい何でしょうか?なぜ信者は日曜日にはごミサに与らなくてはいけないのでしょうか?なぜミサの中では聖書が朗読されるのでしょうか?カトリックとプロテスタントの違いは何でしょうか?などなど、まだ信者になっていない人たちから信者に向けられる質問はたくさんあるのです。未信者の方たちからこのような質問をされたときに、皆様は丁寧にやさしく答えて差し上げることができるでしょうか。ペトロは質問を受けたときにカトリック信者が説明できるように準備しておきましょうと言っています。現代社会では何事もスマホの中で解決してしまうことができます。しかし、皆様は自分の口で主の祈りを唱えることができるでしょうか?アベマリアの祈り、ロザリオの祈りを自分の口で唱えられるでしょうか?なんでもスマホ任せにするのではなく、神様に向かって信者が心を込めてささげること、行うべきことは頑張りましょう。

     信者の取るべき態度で一番大切なことは、

    信仰を育てるために努力することです。信仰は目を閉じたままでは育ちません。耳から聞いたみ言葉や教えを頭に入れて、考えて、脳みそを働かせて考えることで育つものです。

    二番目に大切なことは、

    善を行うことです。今日の使徒ペトロの手紙には「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむほうが、悪を行って苦しむよりはよい。」と書いてあります。これは神様から与えられたchallenge(試練)ですから逃げてはいけないのです。

     ヨハネによる福音では、イエスが弟子たちに自分の掟について話されている。これはイエスが十字架にこれからかけられるその直前に弟子たちに話されたのでイエスの最後のメッセージともいえる。イエスが言われる「わたしの掟」とは何のことでしょうか?それは「互いに愛し合うこと」です。イエスは人々に聖霊を与えることを約束され、その約束はイエスの復活後に実現しました。イエスが私たちを愛されたので私たちも愛し合わなければなりません。私たちにとって一番身近なところは家庭です。家庭に愛がなければ愛し合うことは難しいでしょう。そして皆様の場合は、この姫路教会が観光地にあることも忘れないでください。日本の遠くから来るお客様や外国からの観光客に対しても愛を示すことは必要なことでしょう。

    ◆トピックス

     今日は母の日。先週子供の祝福の時にジョニー神父様から子供たちに母の日には母への手紙を持ってくるようにとお願いがありました。今日は約束どおり神父様の呼びかけに答えて約10名の子供たちが祭壇前に集まり、神父様に励まされながらそれぞれのお母さんへのメッセージを発表してくれました。

    「おかあさん いつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう」

    「おかあさん いつも洗濯してくれてありがとう」

    「おかあさん 大好きだよ」

    「おかあさんは怒ると怖いけど、優しいところもあると思うよ」

    など、子どもたちから素直なメッセージが披露されました。子供たちの母親と聖堂内のすべての母親が神父様に聖水で祝福していただきました。

     今日は男子中学生1名と女子小学生1名の合計2名の侍者練習生による奉仕でした。熟練侍者の先輩たちの存在は大きく、あいにく不在で不安だったと思います。そんな中、エルベ神学生と一緒に奉仕してくれました。

    ◆週報より

     予定していた24日のミサ前の歌の練習は都合により中止となりました。次回は6月28日に実施予定です。

    ◆感想

     母の日に母を思うことは尊いことだと感じました。メッセージを披露してくれた子供たちのお母さんを思う気持ちはどんな高額なプレゼントよりも美しいと思います。私も母の日の祝福をいただきながら心のなかで母を思い、母の愛を感じ、母のために祈りをささげることができて良かったです。神に感謝。

     

  • 2026.05.03 私は道であり、真理であり、命である

    ◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録6.1-7

    ◆第二朗読 使徒ペトロの手紙 ペトロ2.4-9

    ◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ14.1-12

    ◆ジョニー神父様のお説教

     第一朗読では、初代教会が直面した問題から新しい使徒職が生まれたことについて書かれています。教会に来る目的は祈りとみ言葉を聞くことです。しかし弟子の数が増えると、食料の分配が問題となりました。現在でも特定の国、特に貧しい国においては教会では食料を分配します。そこで文句を言う人も時にいます。初代教会でその分配の使命を任されたのが助祭職です。助祭とは、司祭にしかできない仕事もありますが、司祭と同じようにいくつかの秘跡を授けたり、説教をしたりできます。現在助祭の最も大切な使命は、貧しい人の世話です。日本では社会貢献や社会活動のようなことも教会のやるべきことと思われているようですが、教会は祈りとみ言葉を聞くためのところであって、それよりも優先されるものではありません。日本では何でも教会と司祭に任せてしまう傾向がありますが、司祭依存症に陥ることは良くない。教会に来る目的はまず祈り、そしてみ言葉を聞くことにあります。 

     第二朗読ではキリストの歩む道を歩む者、すなわちキリスト者としての生き方が書かれています。私たちも教会の生きた石とならなければなりません。もうこれまでにシノダリティという言葉を耳にしてきたと思います。この部分は第一朗読と重なるところです。教会に集う信徒みんなで宣教を担う教会の宣教のあり方です。教会の生きた石となるということはここにいる皆様一人一人が宣教をする役割を持っているということです。ここでは朝のミサにはだいたい30~60人が集まります。10:00のミサだと150人は集まるでしょう。しかし一方で、今月開かれる信徒総会のような場ではそのようにたくさんの人数は集まりません。近いうちに教会の事務員が退職されることが決まっていて、困っています。事務の仕事は日本人のほうが日本語に慣れていて戸惑うことがないので助かっていたことは確かです。例えば、「長谷川さん」という名字があるとしましょう。日本人ではない場合に、この名字を正しく「はせがわ」と読むことは難しい。この教会は皆様の教会です。ジョニー神父の教会ではない。皆様の教会なら、皆様はこの教会のことをもっと知って、もっと自分たちのできることを担ったり、生きた石となることが求められていることをご理解ください。耳でみ言葉を聞くだけでなく、心でみ言葉を聞いてください。

     信徒一人一人が自分たちが宣教者だという理解をもって社会で活躍してほしいです。今でも日本において日本人の召命は少ない。召命があったとしたらほとんどが外国人です。将来、外国人が日本からいなくなることになったとしたら、日本の教会はいったいどうなるのでしょうか。

     ヨハネによる福音では私たちの都は天にあると書かれています。私たち信者は、天国へ入らなければならない。私たちの目指すところは、神の国に入ることであり、そのために神は私たち人間のためにイエスをお遣わしになり、イエスは地上で人間と共に過ごし天から与えられたすべてのことをなし終えて御父のもとへ帰られた。このイエスが示してくださった道こそが天国へ入る正しい道なのです。私たちにとってふさわしい生き方とは、イエスに従う生き方をすることです。イエスから離れると、正しい道がわからなくなる。これは神のメッセージではなく、お招きなのです。神の招きにどうこたえるかは皆様ひとりひとり次第です。

     今日は5月です。5月と10月はマリア様の月です。特に5月は聖母月、10月はロザリオの月と言われています。教会に来てロザリオの祈りをささげるように強要はしませんが、教会に来れない場合でも家庭でロザリオの祈りをすることをお勧めします。

    ◆トピックス

     今日はこどもの日の祝福があり、祭壇の前にこどもたちが集められ、ジョニー神父様から祝福をいただきました。教会からお菓子のプレゼントもありました。

    ◆お知らせ 週報より

     今年の信徒総会は、5月24日(日)聖堂で行われます。

     第四日曜日5月24日の午前9時30分から、典礼聖歌練習会が行われます。

    ◆感想

     今日も私たち姫路教会信者への叱咤激励で、耳にたこができるやら耳が痛いやら。しかしおっしゃる通りなのです。この教会の未来を考えると日本人信徒の割合については先細りが否めません。祝福をいただくために祭壇前に並んだこどもたちの顔ぶれをみても、推測では日本人のこどもは3割といったところでしょうか。彼らの肩にこの教会の未来の光と影がズシリと乗ることは気の毒に思います。この教会は日本人だけのものではないですから、外国籍の信徒ともよく話をしてどのように教会にかかわってどう生きていくのかを話し合うことは喫緊の課題と思います。それこそシノダリティが生きる場面だと思います。課題は大きいですが、小さな一歩を持ち寄りながら平和の輪を広げ、愛の輪を大きく広げていけたらいいなと思います。

     姫路教会の掲示板も聖母月に模様替えされていました

  • 2026.04.26 復活節第4主日 私が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである

    ◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録2.14,36-41

    ◆第二朗読 使徒ペトロの手紙 ペトロ2.20-25

    ◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ10.1-10

    ◆ジョニー神父様のお説教

    今日は世界召命祈願の日です。よい羊飼いの主日ともいわれます。信徒を羊と見立てたときにその羊を守る羊飼いを司牧者とみることができます。司牧者になるためには召命のめぐみが必要です。場所によって恵まれているところと恵まれていないところがあります。神父になりたいという人が多くいるところと少ないところがあり、大阪教区では神父になりたい人がほとんどいなかったり、いても外国人だったりします。先日訪問していた台湾も志願者は少ないようでした。

     神父になるとミサのなかで説教をします。どんな神父の説教でも内容は神の言葉が語られます。神はメシア、メシアという言葉がとても重要です。油を注がれたもの、つまり救いをもたらすために私たちのもとに遣わされたイエスキリストのことです。ペトロは、復活し天に上げられたイエスへの信仰を明確に宣言しました。そして、説教では、悔い改めつまり回心するように説いています。そして、洗礼を受けるようにすすめています。洗礼を受けて聖霊のたまものを受けることです。宗教が廃れていると言われているヨーロッパの中にあって、フランスではある年に一年間で20,100人の受洗者がありました。ベルギーでは6,000人です。フランスの際立った受洗者の多さは何を表しているでしょうか。なにか奇跡が起きていると感じます。

     説教を皆さんは耳から聞いています。耳から聞こえてくるけれど、心に響いたならば遠慮せずに洗礼を受けてください。救われるためです。

     ヨハネによる福音では、今日が良い牧者の主日なので「羊と羊飼い」のたとえが読まれています。イエスは実際牧者として説教をしたのは3年間だけで、天にかえっていかれました。イエスは天にかえっていかれたが、弟子たちが残された。そしてペトロは牧者を続けて、他の残された弟子たちも牧者となった。今、この時代にはペトロもパウロもいない。しかし、教会がある。教会には司祭がいて、司教様が選ばれる。司教様はペトロの後継者です。

    司祭になることはお恵み深いことです。お恵みがないと司祭にはなれない。しかし司祭になったら楽な道を生きるのかというとそうではない。

    Il n’y a pas de rose sans épine.


    (棘の無い薔薇は無い)

     エルベ神学生も苦しんでいる顔をしている時があります。それは彼は今は漢字の勉強に苦労しているせいでしょう。神父になる道や信仰の道には苦労がないとは言えませんが、とげのないバラはありません。

     私は淳心会の仕事の集まりで先週は台湾に行っていました。台湾には昔の友達もいて、できたらもう少し台湾に残って友達にも会いたかった。でも、去年は数か月間姫路教会を離れていたので長く教会を離れていることは良くないと思い、皆様のためにここでミサを捧げられるようにと考えて、帰国しました。

    (侍者をしてくれている小学生の女の子に向かって)シスターになりたいですか?・・・女の子:笑顔ではあるがことばがない。

     シスターになりたいですかと聞かれたときに、嫌と言ってしまうのではなくて笑顔で考えてくれたらいいと思います。そして皆様にお願いしたいことは、シスターや神父になるためには祈りだけでは足りない。励ましが大事ということです。もしも日本人で神学生になった人がいたら、その人たちのために祈りだけではなく、直接的に励ましの声をかけてあげてほしいです。

     今年選挙がありました。その選挙の中では外国人のこともいろいろと言われていました。外国人はもう自分たちの国にかえりなさいと言われるかもしれません。あるいは、外国人が新しく日本に来ることができなくなるかもしれません。日本人の皆様はそうなったときに教会をどうしていかれますか?どうかこの教会が死んでしまうことにならないようにしてほしいと思います。

    ◆トピックス

     今日はミサ後、グロリアサロンでジョニー神父様のお誕生日のお祝い会が開かれました。カトリック姫路教会のホームページには、

    ジョニー・トンバ・ディパ神父(CICM(淳心会)士))

    1974年4月23日生まれ コンゴ民主共和国出身

    と書かれています。神父様は「25歳です」とおっしゃっていました(笑) ケーキにろうそくをともしてみんなでHappy birthday dear ジョニー神父様♪を歌い、教会学校の子どもたちからお祝いの寄せ書きのプレゼントがありました。

     ハルノコ神父様も4月生まれだそうです。今日はお見えではなかったですが、その場でライン電話をつなげ、信徒の祝意と笑顔を伝え、ケーキと寄せ書きのプレゼントがありました。ハルノコ神父様は叙階されて25年の銀祝だそうです。おめでとうございます!

    ◆感想 

     フランスでは確かに若い大人の受洗者が増えているそうです。神父様は何か奇跡が起きているのかもしれないと言われましたが、実際ネット上ではミステリーっぽく話題にもなっていました。理由の分析はいろいろされているようですが、この現象、日本でも起きる可能性はゼロとも言い切れないのではないでしょうか。若者が救いを求めることは自然なことなのに、日本でもかつて生活に根差していた仏教や神道が生活の場から消えつつあり、どこに救いを求めたらよいのか迷子になっている人はいるでしょう。かれらが新たに足を踏み入れる場所がカトリック教会だったら、訪問した時になにかしら救いを感じたり、居心地の良さを感じたりしたら、かれらの心に信仰の種がまかれて、いつか芽がでてこないかしら・・・。いずれにしても救いを求める若者が出会う宗教がまともなものであってほしいと思います。私たち大人ができることはなんだろうかと考えさせられました。