
◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録2.42-47
◆第二朗読 使徒ペトロの手紙 ペトロ1.3-9
◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ20.19-31
◆ハルノコ神父様のお説教

今日の福音個所では何度も何度も繰り返し出てきた言葉があります。それは、「平和」です。あなたがたに平和があるように、と三度も書かれています。聖書の中で繰り返し出てくる言葉というのは、重要なポイントという意味です。学校の場合では、先生がなんども同じことを生徒に教える場合、それは「これがポイントですよ。試験に出ますよ。」ということと同じです。
弟子たちは大切なイエスを失ってしまって、イエスと同じようにとらえられることを怖がって、小さな家の二階に鍵をかけて閉じこもってしまっていたのです。私もエルサレムにいたとき、現存する小さな家へ行ったことがありますが、とても小さくて狭いです。そこにみんなで集まっておびえていたのです。

私たちも生活の中でこの弟子たちと同じような状況を体験することはないでしょうか。仕事のこと、人間関係のこと、家族のこと、などなど理由は様々ですが、怖くなったり、困ったり、悲しんだりして心が打ちひしがれて閉じこもってしまうときがあるのではないでしょうか。そして今日の福音では弟子たちがそのような悲しみや恐れの中にあるときにイエスがあらわれたのです。それはなんとうれしいことでしょうか。何という喜び!
私も若いときに両親を亡くしました。だからいつも両親に会いたいと思っていました。皆さんも愛する家族を失ったり、恋人が去ってしまったり、そんな体験があるでしょう。その人にもう一度会いたいと強く願うでしょう。そのような時、また会えたら、とてもうれしい。大きな喜びですね!
いったい平和はどこから始まるのでしょうか。それは、わたしたちの心の中からではないでしょうか。イエスはまず自分の傷を弟子たちに示して、「心配しないで大丈夫だよ。この私も大変なことがあったけど、こうして今は大丈夫だから、あなたも大丈夫。心配いらないよ。」と語り掛けられました。弟子たちはイエスに会い、うれしくて心が慰められて、元気になりました。イエスが自分の傷を示しながら近くに来てくださったからです。そのときの心の状態は平和です。私たちも相手に自分が受け入れられ、許されるとき、ほっと安心するでしょう。そしてその時のほっとした気持ちやうれしい気持ちであるときには、言葉を超える平和があります。

私たちもまずは一番身近な人、例えば家族との間に平和があれば、その平和は少しづつ周りにも広がって、平和な社会、平和な世界になっていくでしょう。私たちは平和を求め、平和があるように祈り求めましょう。
◆トピックス
週報より:ジョニー神父様の不在中のミサの対応について
4月14日(火)~25日(土)までの間、平日のミサはありません。
◆感想
今日もご復活をお祝いしました。ミサ開始前に恒例の歌の練習があったおかげで信徒の皆さんの歌声もよく響き、またいつもの侍者に加えて3人の練習生も加わり、総勢5人の侍者と神学生も奉仕しておられ、盛大なごミサに感じました。侍者たちへハルノコ神父様からねぎらいと感謝のことばがかけられ、信徒のみなさんにも温かい見守りと励ましを求められました。
