~日曜日、教会の説教を聞いて心にひびいたこと~

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  • 2026.02.22 実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです

    ◆第一朗読 創世記2.7-9,3.1-7

    ◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ5.12-19,

    ◆第三朗読 マタイによる福音

    ◆ジョニー神父様のお説教

     第一朗読では、神が人を作られた。人を作っただけでなはく、神様は人と一緒に生活され近い距離におられたということも表している。人間が、み言葉を大切にし、み言葉を守ることが、神様に協力し、神様に忠実に生きているということになり、それが造り主である神への感謝をささげることにつながっている。

     イブを誘惑したのは蛇です。蛇というのは蛇の姿をかりた悪魔です。悪魔はとてもずる賢いので、イブを誘惑するときは巧妙にイブのあることを利用して誘惑を仕掛けてきた。蛇はイブの何を利用したのでしょうか。

     蛇はイブの不満を利用したのです。

     イブはわかっていたのに最後まで誘惑を断り切れなかった。イブは自分が神様と同じように完ぺきではないとして自分に満足していなかった。満足していないので自分に不満があった。蛇はその不満を上手に利用して誘惑に陥れたのです。

     これでお話が終わると、この話がただの昔話になってしまう。現代でも悪魔はいます。蛇の姿をした悪魔は、現代ではテレビやインターネット、スマートフォンなどに姿を変えているかもしれない。

     第二朗読では、人が罪を犯した結果何が起きたかが書かれている。罪の結果、死が入りこんだのです。罪を犯すと神様と離れることになり、神から離れたところに命はない。しかし、イエスによって私たちは救われた。言い換えると、罪があっても私たちは神の恵みによって許されるのです。私たちは神のお恵みが働くように神に感謝をささげ、忠実にみ言葉を守り、神のみ言葉にたがわない行いをしているでしょうか。私たちの信仰を今一度チェックするときです。

     第三朗読ではイエスも悪魔の誘惑を受けられたことが書いてある。イエスがうけた誘惑は人間が誘惑を受けるのとは決定的に違う点がある。それは・・・

     イエスのうけられた誘惑は聖霊の働きによるものであり神の御計画のうちであったということ。イエスは悪魔の誘惑に敗れず、打ち勝った。どのようにしてイエスが悪魔の誘惑を退けたのかというと、聖書に書かれた言葉を使って打ち勝ったのです。

     四旬節は、私たちの信仰を振り返るチャンスです。私たちの信仰は大丈夫でしょうか。日曜日にミサにあずかるつもりにしていてもオリンピックの試合を見過ごせなくてテレビから離れられないからミサにあずからないなどということがないでしょうか。今日は大阪マラソンがあって、とか姫路マラソンがあってミサにはあずからないでいいとかそんな誘惑に負けることはないでしょうか。神に立ち返るために、み言葉を大切にして、喜びをもってみ言葉に従った行いをすることが大切です。日曜日に教会に来て、その時だけみ言葉を味わうのでは足りないでしょう。家でも一日一節でも聖書をよみ、み言葉を味わえるように努力しましょう。そして、み言葉を武器にして、悪魔の誘惑を退け、悪に打ち勝っていきましょう。

    ◆トピックス

     ・今日はミサの中で一人のベトナム女性の洗礼志願式が行われました。本日は都合によりミサにあずかれないけれどもう一人別のベトナム人の志願者がいらっしゃるそうです。

     ・今日はエルベ(Herve)神学生の30歳のお誕生日でした。ミサの中でもエルベ神学生に神様のお恵みがあるように意向がささげられました。おめでとうございます。エルベ神学生はジョニー神父様と同じコンゴ民主共和国の出身で、来日後しばらくの間大阪の富田林で過ごし昨秋より姫路教会に隣接の淳心会本部にお住まいです。ご両親とご兄弟は故郷にてご健在です。

     ・3月1日(日)10時のミサの中で四旬節の黙想会があります。

      テーマは「回心して福音を信じなさい」

      講師はジョニー神父様 

      どなたでもごミサとミサの中で行われる黙想会にご参加いただけます。10時より少し前にカトリック姫路教会にお越しください。扉を開けて中に入ると、正面に聖歌集や聖書と典礼が置かれたテーブルがあります。必要な資料を受け取ったらそのまま中へ進み、自由に着席してください。初めての方や案内が必要な方はそのテーブル付近にたいてい宣教チームのスタッフが立ってくれているので声をかけてみてください。

     ・ゆるしの秘跡促進旬間がはじまっています。日曜日に受けることが難しい場合、主任司祭に申し出れば任意の日時にも可能です。

    ◆感想

     み言葉を武器に悪を打ち負かすというフレーズに衝撃を受けました。武力ではなく、み言葉でもって悪魔を退ける。み言葉が大切だということは、きっとこれまでも教会で何回も聞いたことがあるはずですが、わたしの右耳から左耳へ抜けていくだけだったのでしょうか、ピンとくることがなかったかもしれません。今日ジョニー神父様から「み言葉を武器に悪に打ち勝ってまいりましょう」とミサ冒頭とお説教でも聞かされ、初めてハッとしました。

     キリスト者に与えられた強さとは、神様の教えでもって善悪を判断し、み言葉でもって悪の力に打ち勝つことができるということなのでしょう。社会の不正や、弱い人はさらに弱い立場へ追いやられる悪しき構造などに対して、おかしいと声を上げる人間でありたいしあらねばならないと思いました。無力さにさいなまれる必要はなく、私たちには力がある。キリストの教えを試金石にして世の中を見分け、み言葉を語ることで悪を退ける力がある。

     悪魔である蛇が人間を誘惑に陥らせるとき「不満」を利用したというくだりは、背筋が寒くなる話でした。私が連想した悪魔の仕業は戦争です。戦争は突然始まるわけではなく、戦争をするための準備が周到になされるのです。今月行われた衆議院選挙では、政治や国のリーダーに対する国民の不満が高まる中、不満の矛先が弱い立場の人たちや外国人に向けられ、めくらましの政策論争が繰り広げられました。結果的に戦争を可能にする国作りに進む政権を容認するような結果となりました。不満が利用されたのです。現代社会にも悪魔の誘惑はあります。私たちキリスト者は神様から善悪を判断する知恵と、悪に打ち勝つ武器としてみ言葉をいただいています。私にある力を認め、少しでも力を発揮できるように勇気を出したいとおもいました。