~日曜日、教会の説教を聞いて心にひびいたこと~

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  • 2026.02.01 心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである

    ◆第一朗読 ゼファニヤの預言 2.3,3.12-13

    ◆第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 コリント1.26-26-31

    ◆マタイによる福音 マタイ5.1-12

    ◆ジョニー神父様のお説教

     第一朗読では、イスラエルの民が罰としてアッシリアへ連れていかれたがその中でも苦しみに耐えた人たちは助けられたという場面が書いてある。苦しみに耐えた人たちとは「貧しい人たち」「へりくだる柔和な人たち」とも同じ意味です。なぜこの「貧しい人たち」は助かったのか?

     答えは、貧しい人たちは神様の言うことをきいたからです。

     第三朗読では、イエスは小高い丘に登って群衆を前にして、神様の教えを説かれた。この場面は「山上の説教」と呼ばれています。

     ここでイエスは最初に、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」と話されました。人が幸せになるためには心の貧しい人になるようにしなさいと教えられたのです。この「心が貧しい」という表現には誤解がないようにすこし説明が必要かもしれません。「心が貧しい」という言葉は、心が豊かな人という意味の逆ではないのです。もともとはヘブライ語で、「自分の貧しさをしっている態度、心のありかた」という意味になります。

     一番豊かなのは神様です。それに比べて人間は完全な存在ではありません。足りないのです。そんな人間にとっての救いはどこからくるのでしょうか。

     救いはイエスキリストから来ます。救いはイエスのお恵みによるものなのです。

     お恵みとは、モノではありません。どんなにモノを持っていても自分が何のために生きているの分からなくて苦しんでいる人もいる。

     イエスは、私たちが神からお恵みをいただくためには神に忠実であるように、「心の貧しい人」でありなさいと教えてくださっています。私たちを救うのはモノや金や肩書ではない。そのようなものに心を支配されているならこの世でもあの世でも幸せにはならないということを神はいつも静かにずっと語りかけておられます。

     私たちは、生きていて苦しいことや悲しいことがあって悩むこともあるでしょう。その苦しみや悲しみの中でも神様に向かって祈り、前向きに生きるとき、私たちは自分が小さくて、神様を必要としている存在(=心が貧しい)であることに気づいてますます神様を求め、信じます。本当の幸せとは神様と向き合ってしっかりつながっていることなのです。

    ◆感想

     ジョニー神父様は先週日曜日から復帰されています。おかえりなさい。

     「心の貧しい人は幸いである」とは有名な聖句であり、昔からよく目にしました。しかし、「心の貧しい」という言葉に違和感があり、今一つ腑に落ちない聖句でもありました。心が貧しいというのは、心に余裕がないギスギスした状態の心を持つ人だと思っていたのです。

     今日のお説教で腑に落ちるところがありました。心の貧しい人というのは、自分の足りなさを自覚する謙虚な心をもつ人であり、その人は自分が救われるためには神の助けが必要であると自覚して、神により頼み祈る。そのように神に向き合う人は幸せになるということだと理解しました。

     お説教では心の貧しい人を中心にお話しされましたが、個人的には「平和を実現する人々は、幸いである」について神父様のお話を聞いてみたかったです。日本は今まさに2月8日の衆議院議員総選挙に向けて各党の選挙戦の真っただ中にあります。不戦の誓いや平和について真剣に語る政党があまりに少なく今回の選挙はこれまでにないレベルで心がざわざわするものになっています。カトリック教会はカルト集団ではありません。なので、幸いなことにカトリック教会は信者に対してどの政党に票を投じたらよいのか指南しません。そのことは至極当然のことで大切なことです。しかし、カトリック教会がどのようなスタンスや手法で正義と平和を実現させようとしているのか具体的なアクションが信者に見えていないとしたら、信仰生活と現実生活の乖離が生じてしまうことがあるのではないかと懸念します。たとえば、カトリック教会に熱心に通っているのに選挙では軍拡まっしぐらの政党に票をいれるみたいな・・・。もっといえば、およそカトリックの教えとは程遠いと思われる言説を述べる政治家がカトリック信者である例もあります。

     カトリック教会において、正義と平和をつくる取り組みの活動は個々の教会の考えや事情により活発だったりなかったりするのが現実で、多くの場合あまり関心が寄せられていない気がします。カトリック姫路教会の活動の実態はわたしが知らないだけで実は活発に活動がなされているかもしれません。この辺りも今後関心を持ってみていきたいです。

     私は、絶対に日本が同じ過ちを犯さないように、私たちの子どもや孫が戦場に送り出されることがないように願いながら、神様の教えに照らし合わせて考えながら一票を投じるつもりです。

    ◆トピックス

     2月11日(水)は世界病者の日です。病人がふさわしい援助が受けられるように、また苦しんでいる人が自らの苦しみの意味を受け止めていくための必要な助けを得られるように祈る日です。カトリック姫路教会では午後6時のミサで祈りがささげられます。望まれる方は「病者の塗油」を受けることができます。