~日曜日、教会の説教を聞いて心にひびいたこと~

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  • 2026.03.15 キリストはあなたを照らされる

    ◆第一朗読 サムエル記 サムエル上16・1b、6-7,10-13a

    ◆第二朗読 使徒パウロのエフェソの教会への手紙 エフェソ5.8-14

    ◆ヨハネによる福音 ヨハネ9.1,6-9,13-17,34-38

    ◆ジョニー神父様の説教

     主はダビデに目を止められ、ダビデは召し出されたがそれはダビデになにかメリットがあるからではない。召し出しは神様のお恵みが働いたということです。召し出しは神様のお恵みです。

     今日ここに集う信徒のみなさんも神様に導かれてここにいらっしゃるのです。これも神様の召し出しがあり、お恵みが注がれたということになる。皆さんにメリットがあるのではなくて、神様が召し出されたのです。神様のお恵みです。この神の召し出しのお恵みに対して、私たちは信仰と喜びをもってこたえるように求められているのです。

     神様に選ばれる前、私たちはどうだったでしょうか。神様に出会う前は暗闇の中にいたのではないでしょうか。その暗闇の中で神様に出会い、神様の召し出しを受けて暗闇は光に変わったのではなかったでしょうか。パウロは、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子としてあゆみなさい。」と言っています。キリストにであって、私たちはクリスチャンとなったのですから、私たちは社会に光の輝きを表すものなのです。私たちは光を輝かせているでしょうか?以前のように欲望のまま生きるのではなく、愛に根差して生きているでしょうか。もしそうでないならこれから起き上がって、光を表すようにいきるようになれば良いのです。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」

     ヨハネによる福音では肉体の目ではなく、心の目が一番大切であると説かれている。ジョニー神父は以前は目は良かったのに10年ほど前に勉強を頑張ったときに視力が低下して目を悪くしてしまった。その時は眼医者で診てもらい、眼鏡をかけることになり、目は再び見えるようになった。医者は医療で人をいやします。肉体の目はそれで治るが心の目はどうしたら癒されるのでしょうか。

     心の目は信仰の目です。心の目が癒されて、心の目で見えるようになるということは、神様と同じようなものの見方ができるようになるのです。人を見るとき、そのひとの外面的なことだけにとらわれるのではなく、その人のもっとふかいところや目に見えない真実の部分が見えるようになります。心の目は信仰によってみえるようになるのです。私たちの心の目は見えるように開かれているでしょうか。心の目が見えるように心を合わせて祈り求めてまいりましょう。

    ◆感想

     生まれつき目の見えない人の目を神様がつばと土をこねて目に塗り、池に行って洗うと目が見えるようになった。この場面はイエズス様が目の見えない人の目を癒され、目が見えるようにした奇跡の場面であると理解していました。今日改めて福音をよみ、神父様の話を聞いてまた違う掘り下げ方ができることに目からうろこでした。肉体の目が見えないと本当に困ります。しかし心の目が見えないという事はもっと危機的な状況です。神様に出会い、神様を信じ、祈ることでこの目は癒され、見えるようになるのです。この心の目が見えるようになるとこれまでのものの見方と全く違う見方をするようになるというのです。この間からよく聞いている言葉が頭をよぎります。「神様と出会って、神様のことを知った人は、もうもとの同じ自分でいられなくなる。」という言葉。

     心の目で世の中を見ることができるようになると、以前の自分とは同じものも違ってみえるようになるでしょう。洗礼を受け、キリスト者として生きることを決めた時点でその目を授けられていた気がします。その目がよく見えるか曇ったままかはキリスト者としての生き方と信仰により変化するでしょう。私もこの心の目を曇らせることがないように、祈ることでこの目が明るくなるようにしたいです。

     心の目を持つ人はすなわちキリスト者として生きることに召し出された人です。つまり、神様を信じ、永遠の命に至る道をあゆむひとです。今の世の中、多種多様な価値観があるとされながらも結局は声が大きなものの主義主張が幅を利かせ、弱い立場の人はますます小さくされているように思います。有名な政治家が正しいわけではありません。多くの人から熱狂を集める人が正しいわけではありません。私たちが良い目と耳と頭をもち、その主義主張は神様の教えに適う考えかどうか吟味しなければ世界はいとも簡単に間違った方向へ転がってしまう可能性があります。そうなってからでは遅いので、一人の人間として、キリスト者として、市民として、国民として、考え、判断し、小さくても声を上げたいです。