
◆第一朗読 知恵の書 知恵12.16-19
◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ8.26-27
◆福音朗読 マタイによる福音 マタイ13.24-43、または13.24-30
◆ジョニー神父様のお説教
みさなまは、今日も教会に来て、ミサに与り、福音を聞いて、どんなメッセージを持って帰られるでしょうか。
第一朗読では、神の忍耐強さがうたわれています。注意深く読むと、神の忍耐強さ、慈悲深さ、あわれみが見えてくる。神は人間に悔い改めるチャンスを与えてくださっている。「今日は悪い子だけど、明日はよくなるでしょう。」「今日は悪い信者だけれども、明日は共同体のために役に立ってくれるようになるでしょう。」といつも父である神の愛をしめされます。私たち人間とは考え方が違っていることに注意しなければならない。私たち人間は最初の出会いで、「この人は悪い人だ」とか決めてしまいがちです。神様は全く違う。神様は私たちのような考え方はされないし、私たちに初めから完璧であることを求められない。完ぺきを求めるどころか、常に回心に招いてくださっているのです。 私たちが神様の招かれる悔い改めの道に入るとどうなるでしょう?私たちはある一つのことを悟ることになります。
それは、自分ひとりの力ではけっして救いを得ることはできないということ。自分の力だけに頼っていては、救いに至らないのだと気が付きます。救いに至るためには神様の助けが必要だと悟ることになるのです。神様の助けを得られるようにするためにはどうしたらよいのでしょうか。それは、祈りです。神さまどうか助けてください、神さまどうかわたしを導いてくださいとお祈りすることです。
時に正しく祈ることが難しいことがあります。何をどのように祈ればよいのかわからないときもあるでしょう。それについて、第二朗読で、パウロは、聖霊のことを考えるようにアドバイスを与えてくれています。聖霊は正しいお祈りに導いてくれるでしょう。聖霊の存在と役割を理解し、まず初めに聖霊を求めることが大切です。聖霊運動というグループの方々が祈る姿を見たことがあれば、聖霊を求めるにはどのようにお祈りしたらよいのか理解できるでしょう。ミサの初めにも、ミサの中でも、司祭の言葉の中で、聖霊に祈っています。私たちの日々の祈りのなかにも聖霊に祈ることを忘れてはなりません。

福音は、ふつうの麦と毒麦のたとえ話です。第一朗読で示された神様の忍耐強さ、いつくしみ深さ、あわれみを説明しています。神の忍耐強さ、いつくしみ深さ、あわれみは人間のそれとはまったく違います。神様の心は人間の心と違うということを表しています。人間の心というのは、毒麦を早々に抜き集めようとする弟子たちの行動に象徴されています。人間は待てない。いますぐ求めようとする。急いでいる態度が弟子たちの行動です。しかし、神様は麦も毒麦も両方とも育つようにされて、時が来れば別になると言われる。私たちの教会にも、いい人がいて、善くない人もいるでしょう。この人にはこの役割を任せられるけど、この人にはさせたくないとか、ジョニー神父は厳しいことを言うからこの教会から早く出ていってほしいという人とか・・・そんな人がいるかもしれない。その人たちは洗礼を受けたというかもしれないが、仮に洗礼証明書を持っていたとしても、本当の意味では神様の道を生きているとは言えないでしょう。
パンだねとは、神の国の発展に協力する人のことです。みなさんは世間では社会人とみなされていますが、教会に来るときはキリスト者、カトリック信者です。神さまの道を歩んで、神様の国の実現に協力する人であることが求められています。答唱詩編でも人はひとりで救われるのではないと歌っています。私たちも自分ひとりで救われるのではなく、この教会のみんなで救われるほうが良いのではないでしょうか。みんなで救いに与れるように、そのお恵みを願い求め、祈りましょう。

◆週報より
8月15日(土)の聖母被昇天祭のミサは、午前10時からです。朝7時のミサはありません。