~日曜日、教会の説教を聞いて心にひびいたこと~

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  • 2026.08.09「 主よ、助けてください」

    ◆第一朗読 列王記上19.9,11-13

    ◆第二朗読使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ9.1-5

    ◆第三朗読 マタイによる福音 マタイ14.22-33

    ◆ジョニー神父様のお説教

     今日の言葉、「主よ、助けてください」は短いですが、ペトロによるれっきとした祈りです。ペトロが神様を信頼して、心の底から出た真実の叫びだからです。

     皆様に質問があります。声に出して答えなくて結構です。ご自分の胸の中だけで考えて答えてください。「神様に会いたい。神さま、自分はもう苦しいから死んでしまいたいです。」と思ったことがある人はいますか?

     それと同じことを思った人がいます。第一朗読で出てきたエリヤです。エリヤという人物の名前は絶対に覚えておいていただきたいです。旧約の時代の偉大な預言者です。エリヤのほかには、エリシャがいます。エリヤは何度も奇跡を行い、イエスと同じような奇跡をいくつも行いました。死者をよみがえらせたこともありました。このエリヤにはイスラセルの人々に唯一の神への信仰を取り戻させるという神様から与えられたミッションがありました。この当時、異教の神を信仰している人々がいて、その人々が預言者を殺してしまうこともあり巻いた。エリヤも自分の身に危険を感じて、怖くなって、自分の死さえも願うようになったのです。神はエリヤをホレブ(シナイ山)に導き、そこでエリヤに現れ、励まし、新たなミッションを与えました。

     このエリヤの気持ちは司祭の気持ちとかさなります。司祭の中には、どうして司祭になったのか、どうして日本を離れて故郷に帰らないのか疑問に感じて答えが見えなくなっている人もいる。それだけ司祭職を続ける道では厳しいことがある。実際にジョニー神父の同期でも途中で司祭職をあきらめた人もいる。評議会に出ていると、代表を引き受ける人がいない。頑張って代表を受けたとしても批判ばかり受けて厳しいことが多い。司祭職の感じる厳しさと通じるところを感じるので、私は評議員には感謝しかない。仮に間違いがあったとしても感謝の気持ちがまず一番にある。信徒の皆さんにも評議員のメンバーや代表者には、感謝し、励ましてほしいです。司祭のためにも祈ってください。司祭は厳しい仕事に耐えて頑張っているのです。批判ばかりしていると逃げられてしまいます。感謝して、励まして、司祭職や評議員のために祈る必要があります。

     第二朗読は同胞のために祈るパウロのことが描かれています。パウロはキリストによる救いを受け入れなかった多くのユダヤ人のことを思い、心を痛めています。ジョニー神父のところにも時にこのような話が信徒から寄せられます。自分の子どもや孫が教会に行かないので悲しい、つらい、どうしたらいいのかというものです。パウロもこの父母や祖父母と同じように同胞のために心を痛めます。父母や祖父母と同じように、あきらめたくもなるけど、あきらめられない。何とか救いたい、導きたいのです。聖モニカという聖人は、ヒッポの司教アウグスティヌスの母親であり、アウグスティヌスのためにずっと祈り続けた聖女です。イタリアのミラノにいくと、このアウグスティヌスが洗礼を受けたといわれる教会を見ることができます。

     福音書では海に浮かぶ船の上で逆風に悩まされる人々を助けるためにイエスは来られたが、そのイエスを見て弟子たちが怖がっている場面が描かれている。イエスのことを怖がっている人々に対して、イエスは「安心しなさい。私だ。」と言われます。これはいつも語られている神の言葉です。そう言われてもペトロは確かめたいので、船から降りて自分の力ではどうしても無理だと思って助けてくださいと叫ぶ。イエスはペトロを助けながら、信仰の薄いものよ。なぜ疑ったのかと言われた。

     この福音書の中で「舟」という言葉に注目してほしいです。舟とは教会のことです。聖書と典礼の注釈にも書いてある通り、マタイ福音書では舟という言葉に自分たちの教会の不安定な様子を重ね合わせてみています。海に浮かぶ船は不安定な乗り物です。ジョニー神父は海が怖い。泳げないので海はとても怖いところと思ってしまうので、近くに行きたくない。ペトロは初代司教様ですから、いまから267代前の司教様になる方ですが、そんな方が舟(教会)からおりておられる。そして、信仰が薄いときは海に沈みそうになる。しかし、その時に助けてくれる方がいた。それが神様です。信頼しましょう。

     この福音書から学べることは、船から逃げようとしたら沈む、沈むことがないように舟に戻ろう、かならずイエス様が助けてくださるということです。これから先、私たちの人生において、何があってもイエスが必ず私たちを助けてくださる。そのことを信頼して神様への信仰をもって祈り、信頼を育てていきましょう。

    ◆トピックス

     今日8/9は長崎に原爆が投下された日。日本カトリック平和旬間にあたり、今日のミサでは信徒から寄せられた平和メッセージと教会学校の子どもたちの平和メッセージが奉納されました。

    ◆感想

     奉納された平和メッセージは私たちは平和の道具として、平和のためになにができますかという問いへの答えが模造紙にまとめられたものでした。子供たちからは「戦争はこわいからいや」(小学2年生)というものや「戦争を起こさないためには、教育が大事」(高校2年生)というものもあり一つ一つがその子たちの心からのメッセージでした。「せんそうの話をきく」(小学2年生)というものもありました。戦争は忘れたころにやってきます。戦争を知ること、忘れないこと、二度と起こさないために連帯して歩むことが大切です。おとなにはこどもたちに戦争を伝え、知らせる責務があると思います。巷では平和とは相いれない法案が次々に成立し、戦争できる国作りにシフトチェンジした気がしてなりません。それがおかしいと声を上げても、意に介さない政治家の何と多いことでしょう。一人一人が自分の言葉で平和について考える力をつけないと権力と多勢に巻かれていつか来た道に立たされてしまう。私たちキリスト者はもっともっと行動しなければならないのではないでしょうか。そんな焦りと腹立たしさでくらくらする夏ですが、そんな中でも、若い子たちが平和について考えているということは紛れもない希望です。

    奉納された信徒からのメッセージ 左(鳩)は教会学校の子どもたちによるもの