~日曜日、教会の説教を聞いて心にひびいたこと~

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  • 2026.07.05 見よ、あなたの王が来る。高ぶることなく、ろばに乗って来る

    ◆第一朗読 ゼカリヤの預言 ゼカリヤ9.9-10

    ◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ8.9,11-13

    ◆福音朗読 マタイによる福音 マタイ11.25-30

    ◆ジョニー神父様のお説教

     今日の朗読された三つの箇所は、すべてつながっています。三つに共通するテーマは「謙遜」「謙虚」「へりくだり」です。そのことがテーマであることをまず覚えておきましょう。

     第一朗読はこれから起こることになることを予言したものです。これから起こる救い主の到来について話しています。王という言葉になっていますが、これは救い主イエスキリストを表しています。王は、救い主イエスなのです。人間的な権力の象徴の王ではなく、神の力によりすがる、謙遜なものです。謙遜というのはどうしてでしょう。それは、その王は人々の上に立って人々を支配するのではなく、人々に寄り添い、仕え、ろばに乗って来られるからです。

     イエスは神の子ですから貧しくない、何でも持っておられるはずです。それなのにイエスはろばを選ばれたのです。イエスが王なら、私たちはその王が示す道だけを歩まなければなりません。

     来られる王が王国を持っていて、すべての人がこの王国に入るように招かれています。ただし、条件があります。それは、肉の支配下にいないで、霊の王に導かれる、つまり体の行いを選ばずにイエスに従って清い生活を行うことです。肉とは、体のことで、肉に従って生きるというのは具体的にどういうことなのかについては、ガラテア人への手紙5章19節に書いてあります。

     ガラテア人への手紙「 19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、 20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、 21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。 24 キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

    25 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。 26 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。」

     姦淫、好色、 偶像礼拝、ねたみ、争いそういった類のものを私たちはカトリック信者として断たなければならないのです。霊の結びつきによって生きているならその人は柔和で謙遜である必要があります。霊によって導かれているなら、罪の道から離れてイエスの示す道を歩むことになります。これは神の知恵です。

     この世でえらいとされる人は心の扉が閉じてしまっていることがあります。そのような人間的な価値でえらいとされる王のような人を私たち信者は模範にするのではないのです。私たちがモデルにして、倣おうとするべきなのはイエスキリストご自身です。イエスキリストは神でありながら、私たちと同じ人間として来てくださった柔和で謙遜な方です。

     神の知恵は地上の知恵とは違います。イエスキリストを信じる人には報いがあります。どんな報いでしょうか。

     それは安らぎ。安らぎとは心が安らいでいること、魂が安らいでいることです。私たちはその安らぎを得るために神様に祈り、そのお恵みが与えられるように願い求めましょう。

    ◆トピックス

     今日は第一日曜日なので、恒例の子供ミサでした。

    侍者:ベテラン侍者と男子中学生

    第一朗読:小学生男子

    答唱詩編:小学生女子3人組

    第二朗読:中学生女子

    共同祈願:小学生男子、小学生女子たち合計4名

    奉納:小学生 中学生 数名

    オルガン:中学生女子

    楽器:ギターと打楽器 社会人ギタリストたち

    入際の歌「アーメンハレルヤ」

    奉納「キリストと共に」

    拝領「神様といつもいっしょ」

    閉祭「主よあなたの道を」

    ◆感想

     今日はこどもたちの活躍がいつも以上に光っていました。答唱詩編を小学生が歌ったのは初めてではないでしょうか。あとでジョニー神父様からも褒められ、フロアの信者たちからも大きな拍手でねぎらわれていました。子供たちの頑張りは周りの大人にとっては不思議な作用があります。子供が頑張ってうまくやっていると、大人たちも安心して子どもたちの頑張りにこたえるかのように声が大きくなります。子供たちの頑張りに大人が励まされるあたたかいごミサでした。