~日曜日、教会の説教を聞いて心にひびいたこと~

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  • 2026.06.28 わたしのために命を失う者は、かえってそれを得る

    ◆第一朗読 列王記 列王記下4.8-11、14-16

    ◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ6.3-4,8-11

    ◆福音朗読 マタイによる福音 マタイ10.37-42

    ◆ギャリー神父様のお説教

     「自分の十字架を担ってわたしに従わないものは、わたしにふさわしくない。じぶんの命を得ようとするものは、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」とイエスは言われました。厳しい言葉のように聞こえるかもしれません。

     しかしこれは、土台が弱い家にしないための、私たちの土台を強くするための大事な教えとなるかもしれません。現代社会では社会のプレッシャーが私たちの十字架を重くしているかもしれません。イエスは、「わたしよりも父や母を愛する者は、私にふさわしくない」と言われています。はたして私たちはキリストの弟子として生きるために、それほどまでの代償を払わなければならないのでしょうか?

     考えてみると、そこにものすごい価値があると認めたら、そのための代償の大きさは理解できることでしょう。大切な教えを成し遂げるためには家族や大切なものを代償として引き換えることもあるのです。キリストの弟子である私たちにとって、引き換えるものは、家族や大切な人というよりもむしろ今の自分そのまま、自分の生きかた全てということが求められているかもしれません。日本の現代社会では国民一人一人の幸せよりも国家としての美しさや姿が優先されていますがその奥には孤独を抱える人間が潜んでいることも事実でしょう。孤独な人、社会から引きこもらざるを得ない人、日本的な精神性のゆえに自分に我慢を強いてしまう人、私たちの知らないところにたくさんの苦しんでいる人がいます。私たちはそのような人の存在に触れたとき、「かわいそう」と思うし、同時に「これは行政になんとかしてもらわないと困る」と思うでしょう。そう思う気持も大事ですが、キリストの弟子として私たちに課せられていることは、「私にできることは何かないだろうか?」とその問題について社会に任せてしまう無関心ではなく、歩み寄って心を寄せ、手を差し伸べることでしょう。沈黙のなかで苦しむ人々に手を差し伸べることにキリスト者として大きな喜びがあるのです。なぜならこれがイエスが示された道であるからです。イエスがこのように生きるように招いてくださっているのです。私たちはカトリック信者としての道を歩むと約束しています。だから私たちが困難に陥ってもう駄目だという状況になったときにも神様の力が働いて思いがけない力が自分から湧き出るときがあります。

     安全で、無難な、慣れた場所にとどまっていれば神様の招きにこたえているとはいえないでしょう。神様の用意された招きにこたえていくとき、自分に神様のお恵みがはたらいて自分の信仰が強められることや与えられる力に驚き、神様の招きにこたえて生きることの素晴らしさを体験することになるかもしれません。

     日本ではカトリック信者は少数派です。その少数派である私たちがキリストを体現するために働くということは、生計を立てるために働くという意味とは違いますが、キリストの平和を映し出す存在であること、そのような生き方を表すことです。私たちが愛とめぐみのある場所を子供たちに示していくことは平和を作ることに通じることではないでしょうか。隣人に心のこもった挨拶をすることも平和を作る行為ではないでしょうか。心がこもった挨拶は、孤独を和らげる助けになります。有名なマザーテレサもこのように言っています。

     大切なのは、
     どれだけたくさんの
     ことをしたかではなく、

     どれだけ心を
     込めたかです。

    私たちが社会の中で弟子として神の愛を行うことができたら、社会は変わるでしょう。

    * マザー・テレサ(Mother Teresa/1910年-1997年/貧しい人のために働き続け、その生涯を愛に捧げたことで知られる修道女教育者平和運動家)

    ◆感想

     私たちは、キリスト者としてキリストのようになるようにと招かれ、キリストの弟子として生きることを求めらているとうことの具体的な意味を改めて考えさせられました。口先だけのキリスト者になってはいけないよと注意されているようにも聞こえます。口先だけのキリスト者であることを自分に許すということは、土台が弱いところに建物を建てようとして土台も建物も失ってしまう、つまり大事なことが何かを見誤ったまま生きると結局命や生き方は台無しになってしまうことになると理解しました。イエスが示された道を歩み、イエスの姿に倣おうとする生き方を選ぶとき、険しい道にあっても限りない恵みと励ましの力が私たちに与えられるということでしょう。その生き方は、すべてを捨てて神様についていった弟子たちの姿が象徴しています。私には弟子級の行いはできないまでも、キリストにつながっているものとしてできるレベルで愛の行いを示せたら良いとおもいました。その心をもって日々家族や仕事で出会う人に接することができたら小さな愛の行いが社会で連鎖して、愛とやさしさにあふれる社会になると思いました。その社会を想像すると、ジョン・レノンの曲「イマジン」が思い出されました♪

    ◆お知らせ 週報より

    ・姫路地区平和旬間・月間行事

    講演のテーマ「キリストの平和、フランシスコ聖人が教えた生き方」講師:シスター二コラ(聖フランシスコ病院修道女会)

    第一回 7月4日(土)10:00 仁豊野聖マリア病院聖堂にて

    第二回 7月11日(土)10:00 カトリック相生教会にて

    ・ジョニー神父様は不在中の6月30日から7月4日までの午前7時のミサはありません。7月1日(水)の午後6時(カレンガ神父様司式)のミサはあります。

    ・本日から堅信の勉強会が開講されました。講師はジョニー神父様です。対象者は小学6年以上で初聖体をうけている人です。該当者は教会事務所で申し込みしてください。