
◆第一朗読 出エジプト記 出エジプト17.3-7
◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ5.1-2,5-8
◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ4..5-15,19-26,39,40-42
◆ギャリー神父様のお説教
今日は「水」がキーワードです。洗礼の時にも水が使われる。水は命に欠かせない。水は命のシンボルです。

第一朗読ではのどが渇いた民がモーセに向かって不満を訴える場面が描かれている。エジプトから解放された民を待っていたのは厳しい荒れ野の自然だったから、人々は水を飲みたくても水がどこにもない。それで自分たちを連れだして導いたモーセに対して文句をぶつけたのです。困ったモーセが神に助けを求めると、神はモーゼに岩を打たせ、その岩から水が湧き出て民は渇きをいやすことができることになった。その奇跡を通して民は初めて主がなさったことに気が付いた。主を試して、主がちゃんと自分たちの間におられたことを理解したのです。
このように水は私たちの渇きをいやし、命に欠かせない大切なものです。神はその水のような存在である。私たちの神様への信仰は永遠の命に至るように私たちと神様をつなぐものであり、その信仰によって私たちは満たされている。しかし、実際にどのように私たちの信仰が私たちを満たしているのかについてよくわかっていないかもしれない。
私たちの神への信仰は、永遠の命に至る信仰であり、私たちと神様をつないでいる。神様は私たちの内側にとどまり続け、絶えず湧き出ていて、私たちを癒し続けておられる。私たちがこのように神様とつながり、神様がいつも私たちのそばにおられるということは私たちにとって大きなお恵みです。イエスこそが命の水の与え主であるといえます。

◆感想
イエスから下された使命により、モーセはエジプトの地で虐げられていたイスラエルの民を脱出させカナンの地を目指すことになりました。このあたりのことは映画「十戒」のシーンがよみがえります。民を開放することを拒んでいたファラオでしたが、エジプトに次々と災難が降りかかり、最後は解放を認めましたが心変わりして追いかけていったところで割れていた海が元通りになったためファラオの軍は海に飲み込まれて全滅してしまいます。
エジプトを襲った災難とは、ナイル川の水が血に変わる、カエルを放つ、ぶよを放つ、アブを放つ、家畜に疫病をはやらせる、腫物を生じさせる、ひょうを降らせる、イナゴを放つ、暗闇でエジプトを覆う、初子を皆殺しにする、とまあ本当にとんでもない災難の数々でした。その後海を割りながら脱出したシーンが印象に深く、本日の朗読箇所である「モーセが岩を打つと水が流れた」シーンが映画ではどのように描かれていたか今記憶にありません。しかし、のどの渇きほど命の危機を覚えるものはありません。まさにモーセに詰め寄る民は殺気立っていたに違いありません。岩から水が出て民は渇きをいやし命を保った、ということは、イエス(霊的な岩)から救いの水が出てきて民は霊的に満たされて永遠の救いの道へつながったということを想起させるものになっています。私たちの神様への信仰はたどっていくと神ご自身につながっており、そのつながり自体が私たちを満たして癒すものだとイメージしました。

私たちは魚のよう 神様の愛の中で生きる♪ 今日のお説教を聞きながら、この聖歌を思い出しました。