
◆第一朗読 使徒言行録2.1-11
◆第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 コリント12.3-7、12-13
◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ20.19-23
◆ジョニー神父様のお説教
先週は主の昇天、イエスが天に昇られた話をしました。その昇天の時、イエスは残される弟子たちにある約束をなさいました。それは、聖霊です。弟子たちに聖霊を送ってくださることを約束してくださったのです。イエスが十字架につけられて殺された後、弟子たちは自分たちも同じように捕まえられて殺されるのではないかとおびえて、家の中に鍵をかけてみんなで集まっていたのです。そこに聖霊が遣わされました。聖霊はひっそりと下ったのではなく、激しい風と共にくだりました。聖霊が下ると弟子たちが語る言葉を聞いている人々はそれぞれ自分の故郷の言葉で理解したのです。姫路教会のように英語、ベトナム語、日本語、ポルトガル語、スペイン語など多くの言語を話すそれぞれの人がたちがいる中で、ジョニー神父が説教をするとき、ジョニー神父がリンガラ語で説教をするのに、皆さんが同時にそれを自分の故郷の国の言葉で理解するという不思議な体験です。聖霊をいただいて、怖がっていた弟子たちは励まされ、勇気づけられ、おそれることなく宣教に出ていきました。そして、弟子たちだけにこの聖霊が送られたのではありません。弟子たちの話を聞いていた人たちにも聖霊が送られたのです。神様のお恵みは狭い部分に限って送られるものではなく、広くみんなに注がれているのです。
聖霊のプレゼントがあります。それが賜物です。ある人は上手に歌を歌ってミサに奉仕することができる、ある人は上手に朗読することができる、ある人は上手にミサの準備を整えることができる、ある人は初めて教会を訪れた人のお世話をすることができる、ある人は上手に花を世話できるなどなど、みんなが何かしらみんなのために発揮できる力を授けられています。そしてその力は神様から来ています。人間は力が授けられると、どうしてもそのことで優越感をもってえらそうにする人もいて、それが原因で人々の中に不和や争いが生まれることがあります。しかしその力を送ってくださったのは神であり、みんなが信仰し、賛美するおなじひとつの神なのです。だから同じ神からいただいた賜物のことで争ったりすることは間違ったことです。神は一致と平和を望まれています。
福音書では聖霊を受けなさいと書いてあります。教会に来て、祈っているけれども聖霊の働きを感じたことがないという人もいるかもしれません。それは聖霊がはたらくことを妨げているからかもしれません。聖霊がはたらくために必要なことは、何でしょうか?

聖霊がはたらく為には祈りが必要です。祈らなければ聖霊ははたらくことができない。祈らなければ祈ることができなくて、聖霊ははたらけない。祈ればますます祈りができるようになって、聖霊がはたらくことができる。
こんなことを言うと怒る人がいるかもしれませんが・・・信者であっても、「アベマリアの祈り」を唱えられない人がいるかもしれません。プリントやプロジェクターで見せてもらえないとアベマリアの祈りが口から出てこないようでは祈っているとはいえない。「聖書と典礼」冊子の中には共同祈願が書かれています。これは教会ごとに唱える祈りの例文であるとされているにもかかわらず、みなさんは毎回これを書いてある通りに読んでいる。みなさんは本当にそのことを祈りたいと思っているでしょうか、それともそのことを祈りたいのかどうかわからないとおもいながら読んでいるのではないでしょうか。プリントに書かれているから読んでいるという状況は本当の祈りとは言えない。書いてあるから読んでいるというのであれば紙の奴隷になっているだけになってしまいます。カトリック信者であるならば、「主の祈り」「アベマリアの祈り」「使徒信条」などミサの中でも唱える祈りは何も見ないでも唱えられるようになったほうがよいでしょう。
祈りは、祈れば祈るほど上手になります。聖霊は祈りがあるところに働きます。聖霊のおめぐみがいただけるように、聖霊の働きを妨げることがないように、祈りましょう。今日は信徒総会があります。総会が皆さんの一致と協力のうちに良いものになるように聖霊のはたらきを願って祈りましょう。
◆トピックス
今日は信徒総会がありました。初めの祈りで始まり、終わりの祈りで閉会しました。小教区の現状、評議会と委員会活動の報告、会計報告、監査報告、質疑応答を聞くことができました。
◆感想
去年のジョニー神父様の説教で、祈りはトレーニング運動と同じで、すればするほど上手になる。聖霊がはたらくことができるように祈りましょうと言われたことを思い出します。そしてたしかにそうだと実感します。
先日東京四谷にあるイグナチオ教会の朝ミサに与りました。そのあとその教会に通われているご婦人と話をすることがありました。その方は、毎日電車でこの教会に通い、ご聖体をいただき、み言葉を聞いて、み言葉を味わいながら一日を過ごすという習慣を毎日続けておられます。その方が言われるには、「毎日ミサに与ると自分で決めて実行していると、不思議なことにちゃんと毎日ミサに与ることができるようにいろいろな調整がはたらいてミサに与れている。祈れば祈るほど豊かにお恵みをいただいている」ということをおっしゃっておられました。これは祈れば祈るほど上手に祈り聖霊がはたらくことをそのとおり体験された方の言葉なのでしょう。
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