聖霊が、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる

◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録15.1-2,22-29
◆第二朗読 ヨハネの黙示 黙示録21.10-14,22-23
◆ヨハネによる福音 ヨハネ14.23-29
◆神父様のお説教
まず忘れてはいけないことは、まだまだ復活節であるということ。ある人々がユダヤからアンティオキアに下ってきて、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていて、パウロやバルナバとの間に激しい意見の対立が生じた。それでパウロとバルナバと数名のものがエルサレムへ行き長老たちと協議した。使徒たちと長老たちはパウロとバルナバと一緒にアンティオキアに派遣する人物としてユダとシラスを選んで同行させて手紙を託してあることを伝えさせた。それは、割礼が人びとを救うのではなく、聖霊が人々を救うということ。割礼は男性にしかできない。神様は男性をだけを救うのではなく、男性も女性も、すべての人を救おうとされていた。そして聖霊と私たちは、という言葉には、聖霊を送ってくださった神様のメッセージが含まれている。すなわち、「聖霊と私たちは」、ということばは、「聖霊のお恵みが私たちの中に働いて」といことで、つまり「神様がそのようにおっしゃっている」ということになる。聖霊の働きやお恵みについては、この先のテーマ「聖霊降臨」で詳しく説明したいので今日は多くは語れない。
第一朗読を黙想すると、今の姫路教会のことが思い浮かんでくる。国際的な多様性に富んでいるが、気を付けないとぶつかり合いがおこるかもしれない。意見が対立するときはアフリカでは互いにわかりやすい形で意見の相違を認めて意見を言い合うが、日本では意見が対立してもわかりにくく上手に目立たない形でけんかをすることがある。いろいろな人がいて意見があるときには対立や分裂しないように注意しないといけない。
第二朗読では聖なる都エルサレムがでてくる。現代では私たちのローマカトリックの本山はローマのバチカンになるが、イエスの時代はエルサレムにあった。
◆感想
聖霊についてもっと知りたいと思いました。聖霊がはたらくということはどういうことなのか、目には見えない聖霊をどうしたら信じられるのか、聖霊についてはまた次回に詳しくお話していただけるので楽しみにしたいです。理由がわからなくても瞬間的に胸に何かこみあげてきたり考えるより先に涙がピュッと出たりするときはなんとなく聖霊が働いたと感じる時があります。もしかしたらいつも自分に働きかけてくれているお恵みが聖霊なのでしょうか??
◆トピックス
今日は信徒総会がミサ前に開催された。例年ミサ後に開催されていたが、ミサ前に開催することで例年よりも多くの信徒が参加した。
典礼・養成研修・宣教・後方・教会学校・社会活動・行事・結婚・葬儀・営繕・高齢病者訪問・財務・国際交流ベトナム、イングリッシュ・聖母奉献修道会といった各委員会の代表者が前に出て、神父様から任命された。任期は二年間。

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