2026.05.03 私は道であり、真理であり、命である

◆第一朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録6.1-7

◆第二朗読 使徒ペトロの手紙 ペトロ2.4-9

◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ14.1-12

◆ジョニー神父様のお説教

 第一朗読では、初代教会が直面した問題から新しい使徒職が生まれたことについて書かれています。教会に来る目的は祈りとみ言葉を聞くことです。しかし弟子の数が増えると、食料の分配が問題となりました。現在でも特定の国、特に貧しい国においては教会では食料を分配します。そこで文句を言う人も時にいます。初代教会でその分配を任される使命を任されたのが助祭職です。助祭とは、司祭にしかできない仕事もありますが、司祭と同じようにいくつかの秘跡を授けたり、説教をしたりできます。なかでも助祭に任されている最も大切な使命は、貧しい人の世話です。日本では社会貢献や社会活動のようなことも教会のやるべきことと思われているようですが、祈りとみ言葉を聞くことよりも優先されるものではありません。日本では何でも教会と司祭に任せてしまう傾向がありますが、司祭依存症に陥ることは良くない。教会に来る目的はまず祈り、そしてみ言葉を聞くことにあります。 

 第二朗読ではキリストの歩む道を歩む者、すなわちキリスト者としての生き方が書かれています。私たちも教会の生きた石とならなければなりません。もうこれまでにシノダリティという言葉を耳にしてきたと思います。この部分は第一朗読と重なるところです。教会に集う信徒みんなで宣教を担う教会の宣教のあり方です。教会の生きた石となるということはここにいる皆様一人一人が宣教をする役割を持っているということです。ここでは朝のミサにはだいたい30~60人が集まります。10:00のミサだと150人は集まるでしょう。しかし一方で、今月開かれる信徒総会のような場ではそのようにたくさんの人数は集まりません。近いうちに教会の事務員が退職されることが決まっていて、困っています。事務の仕事は日本人のほうが日本語に慣れていて戸惑うことがないので助かっていたことは確かです。例えば、「長谷川さん」という感じの名字があるとしましょう。日本人ではない場合に、この名字を正しく「はせがわ」と読むことは難しい。この教会は皆様の教会です。ジョニー神父の教会ではない。皆様の教会なら、皆様はこの教会のことをもっと知って、もっと自分たちのできることを担ったり、生きた石となることが求められていることをご理解ください。耳でみ言葉を聞くだけでなく、心でみ言葉を聞いてください。

 信徒一人一人が自分たちが宣教者だという理解をもって社会で活躍してほしいです。今でも日本において日本人の召命は少ない。召命があったとしたらほとんどが外国人です。将来、外国人が日本からいなくなることになったとしたら、日本の教会はいったいどうなるのでしょうか。

 ヨハネによる福音では私たちの都は天にあると書かれています。私たち信者は、天国へ入らなければならない。私たちの目指すところは、神の国に入ることであり、そのために神は私たち人間のためにイエスをお遣わしになり、イエスは地上で人間と共に過ごし天から与えられたすべてのことをなし終えて御父のもとへ帰られた。このイエスが示してくださった道こそが天国へ入る正しい道なのです。私たちにとってふさわしい生き方とは、イエスに従う生き方をすることです。イエスから離れると、正しい道がわからなくなる。これは神のメッセージではなく、お招きなのです。神の招きにどうこたえるかは皆様ひとりひとり次第です。

 今日は5月です。5月と10月はマリア様の月です。特に5月は聖母月、10月はロザリオの月と言われています。教会に来てロザリオの祈りをささげるように強要はしませんが、教会に来れない場合でも家庭でロザリオの祈りをすることをお勧めします。

◆トピックス

 今日はこどもの日の祝福があり、祭壇の前にこどもたちが集められ、ジョニー神父様から祝福をいただきました。教会からお菓子のプレゼントもありました。

◆お知らせ 週報より

 今年の信徒総会は、5月24日(日)聖堂で行われます。

 第四日曜日5月24日の午前9時30分から、典礼聖歌練習会が行われます。

◆感想

 今日も私たち姫路教会信者への叱咤激励で、耳にたこができるやら耳が痛いやら。しかしおっしゃる通りなのです。この教会の未来を考えると日本人信徒の割合については先細りが否めません。祝福をいただくために祭壇前に並んだこどもたちの顔ぶれをみても、日本人のこどもは3割といったところでしょうか。彼らの肩にこの教会の未来の光と影がズシリと乗ることは気の毒に思います。この教会は日本人だけのものではないですから、外国籍の信徒ともよく話をしてどのように教会にかかわってどう生きていくのかを話し合うことは喫緊の課題と思います。それこそシノダリティが生きる場面だと思います。課題は大きいですが、小さな一歩を持ち寄りながら平和の輪を広げ、愛の輪を大きく広げていけたらいいなと思います。

 姫路教会の掲示板も聖母月になっていました

コメント

“2026.05.03 私は道であり、真理であり、命である” への2件のフィードバック

  1. さわがしい、たぬきのアバター
    さわがしい、たぬき

    当方にとっても耳の痛いお話ですね。
    こちらの教会でも、「信者数の割には働き手が少ない」との神父様のお言葉は、実に深刻でありまして。
    そちらの教会で問題と意識されているところが、こちらの教会でも全く重なるところに、日本の教会の問題点として浮かび上がってくるところ。

    1. えのきりょうのアバター

      この問題が語られない地域はもはやないでしょうね。しかし、姫路教会では毎週日曜日には神父様がミサをたててくださり、み言葉を語ってくださる。侍者をする若者たちがいる。神学生もおられる。そしてミサには大勢の信者が集まり、子どももいる。その風景は平和で豊かで、神様に感謝です。この交わりの中で、召命のめぐみが働き、将来の司祭や助祭やシスターが生まれることを願っています。一方で召命のめぐみはどこか他人事としてとらえていましたが、自分たちにも常に注がれていたのではないかと思います。シスターや司祭にならなかった私たちですが、そんなわたしたちにも宣教者スピリットが与えられており、石ころほどの働きが期待されているのですよ。できたらごろごろ転がる捨て石ではなくて、何かの支えか重しにくらいはなりたいものです。

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