希望と絶望の教え 四旬節の黙想会 カルメル会中川博道神父様「絶望の体験から~希望は欺かない」

2025.03.四旬節黙想会/

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四旬節に黙想しました。とても良いお話でした。いろいろ考えさせられ、慰められ、希望を見出しました。聞き間違いや取り違えているところがあるかもしれません。ご容赦ください。

指導者:カルメル会 中川博道神父様 

『絶望の体験から~希望は欺かない』 2025.03.四旬節黙想会

私たちの学びはすべて神様とともに歩む答えの準備 主の教えてくださった道を歩む要約は主の教えてくださった祈りそのものです。 主の祈り♰唱えましょう

2025年 聖年を迎え、希望の巡礼者というテーマがある

2015年、神の慈しみが私たちの原点であるというメッセージがあった。

希望の対極は絶望

聖年を生きる手引き 教皇様が出された勅書「希望は欺かない」

絶望と希望の間を歩む私たちがどう生きるかについてヒントがある

希望に向かって巡礼するときその行先ははっきりしている。先日灰の水曜日では「あなたがたはちりであって、ちりにかえっていく」とはっきりいわれている。これが人生の枠組みである。死をも突き抜けてどう私たちが希望を持ち続けることができるのか。

先輩宣教師から言われた言葉がつよく印象に残っている。それは、 「人生は火葬場の待合室です。火葬場の煙突をくぐりぬける時何ひとつ持たずすべてをそこにおろして神の前にでていくことになる。」確かな真実であり、 先に天国へ行った先輩たちの見守りを確かに感じる。

勅書20番「死んで復活したキリストは私たちの信仰の心臓です」

死を超えていくものがこの人生にあるのかと考えるときはじめて希望をもつことになる。

自身の体験から  幼少期 突然暴れだした馬にめちゃくちゃに踏まれて内臓破裂 周囲の大人が慌てて救出後長く治療に専念し九死に一生を得た 

原爆の記録フィルムから強烈な死の印象 原爆の熱で一瞬に焼け死んで影が石に焼き付いた人 あの人たちはどこに行ったのか

⇒死とはなにか? 「永遠に眠っている」「何もなくなる」イメージをもった。周囲の大人たちに質問しても明確に答える人はいなかった

生きることの意味を問い続けた 死んだらおしまいの人生をどう生きるかが自分の中の問いになった。

直接的な答えではないが、身近にカトリックの教えの影響があった 

影響その1)カトリックかるた「アベアベマリア天のほし」 「海山  超えて宣教師」 「親の言いつけ神の声」 「エリヤのお迎え火の車」 「イエス様は優しいな」 

影響その2)ミッションスクールに通う姉

大学生になるとき 死んだらおしまいなら好きなことをして生きようと友達と話をしたが、神様がいるという人の存在も話題に上がり、友達と一緒に神の存在を確かめに教会へ行ってみることにした

そこでこれまで自分が出会ったことのない人々と出会うことになった。

人物その1)ドイツ人宣教師 成績はトップかつ芸術にも秀でて多才 多くの人に影響をあたえる指導者的存在 自分には見えないものを追いかけて生きていた 見えないものを見ていた

人物その2)カルメル会修道女のシスターたち 観想修道会にクッキーを買いに行き出会った二人の修道女は明るくて穏やか喜びにあふれている 

→この人の生きざまをみてみたい、この人の追いかけているものを見てみたいという思いに突き動かされた。

キリストに出会いたいなら洗礼を受けるように言われているがそうなのですかと相談したら、こともなげに「それだけのことです」といわれた。洗礼を受けてもキリストに出会えるかどうかはわからないけどダメもとで洗礼を受けることを決心した。

結果、洗礼はその後の自分の人生を変えた。自分の気がかりや大切にしたいことを変えていった。洗礼を受けて一年後、神様は本当にいるのと自問したときに、なんで疑うのという答えが自分の中から自然に湧きあがり自分でも驚いた。

洗礼が何を私たちに与えてくれたのか 洗礼を受けるとはどういうことか

参照 ヨハネの福音3章 ニコデモとイエスの対話 

ニコデモ「イエスは貧しい大工職人なのに、イエスの生き方にこれまでに見たことがないものを見た。神がともにおられるのでなければあなたがなさるようなしるしを行うことはできない」

イエス「はっきり言っておく 人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできない。」

ニコデモ「新たに生まれるとは、もう一回母の胎内にはいるのですか?」

イエス「新たに生まれるとは、だれでも水と霊によって生まれなければ神の国に入ることはできない。水と霊によって生まれる、つまり洗礼のことである。洗礼を受けないと神の国に入ることはできない。」

水と霊によって生まれる・・・洗礼

神の国に入るということは神の国を体験する、一緒に生きること

ヨハネ「信じる者がみな人の子によって永遠の命を得る為である」永遠のというのは死んでからという意味ではない。洗礼そのものが時間と空間を超えている 

イエスを生かす神の命をいただく 神はご自分の命を分け与えるほどに私たちを愛した 永遠の命(この世の時空の限界を超えて生きる 神の世界をも理解できる能力) 命 ギリシャ語 命は生活を生み出すもの いただく命の能力の範囲でしか生きられない 洗礼は神ご自身の命を私たちに植え付けるためのものである 

ある神父:洗礼は受けたけど教会に行ったことはなかった でも戦争が終わりソビエトであらゆる体験をして生き抜いて浮浪者となって生活したときある本にで出会う 洗礼はキリストの命をいただいてキリストと同じ感性で生きることときづき教会に戻り、神父になった。

洗礼によってあなたはキリストの命をいただいたのですよ。命にも色々なレベルがある。植物の命、動物の命、与えられたレベルでしか生きることができない チンパンジーとすべてを分かち合って一緒に生きて、本当に大事にしていたがやはりチンパンジーは人間のようにはできない。それで人間が自分の命を分け与えて自分の持っている命の能力を移植したとしたら今までバナナを食べるとかしかできなかったチンパンジーが悲しいとか嬉しいとか感じる能力を持つようになるでしょう。神もこの世に生まれたとき人間に神ご自身の命の能力を与えられた 

その話を聞いたとき、自分の持つ命の能力だけでは理解できない世界を理解するためにはイエスの命を分けてもらわないと理解することはできないと思った。

人間の命の特徴 十字架のヨハネの教説(なかなか理解されなかったが20世紀になってやっと教会の教えの神髄を説いていると気が付いて教会博士の称号を授けられた人)

人間の命の特徴:親からいただいた 「知性」 「記憶」 「意思(決断)」

神からいただいた永遠の命の能力は人間の命とすべてかかわっています。「信仰」 「希望」 「愛」 神からいただいた能力を持ってイエスと一緒に物事を考え決断する イエスの持つ記憶は単にこの世で起こったことだけではなく神の中にある記憶もいただいている 人間の記憶は死んだらおしまいというもの しかし神の記憶は未来の記憶 神の世界の中で全部実現していく記憶 それを先取りしてそれに基づいて生きることが希望を表す徳 洗礼によっていいただいた神からの能力をもって 神様を相手にしてもイエスと一緒に考え生きる

典礼聖歌キリストのように考え キリストのように話し キリストのように行い キリストのように愛そう♫ 高田先生 洗礼は私たちを中から変え続けてくれる

教会の成熟 巡礼というと 昔は やせ細った修道者 苦行 捨てる 無 と思われていたが希望の巡礼者とはこれほどまでに豊かな神の招きにあずかっているのだからそれ以外のものに執着するのはやめなさい、この世のものだけに執着する生き方はやめなさいと言っている 

代々教皇さまや聖人たちが私たちを導いて前を見ている 教会は確かな情報源を持つ世界(世界中に散らばる情報が隅々から集められる バチカンがものをいうときノーベル賞級の確かな科学者によるアカデミーの持つ確かな情報から今の時代を分析し教皇様が発信する

ベネディクト16世は半世紀を振り返り、教会の歴史も見直し、どのように推移してきたか分析した 2006年カルメル会は21世紀をどう生きるか本気で模索し始めた。「カルメル会は日本で必要でしょうか?」を相談。ニコラス神父(イエズス会・教皇様の相談相手でもあった)講演 近世からの500年はどういう理念で導かれてきたか分析 ヨーロッパ フランシスコベーコン 人類は科学を発達させれば救われると進歩させ、外側の様々なものを改革してきた。そこから見ると科学や技術が人類の問題を解決し歩み続きて来た。やがて信仰とか希望とかが人々のない面だけのことに押し込められてきた。科学が人間の内面に向かってくるようになった。内面から幸せになるためにはどうしたらよいか。私たちの心が本当に満たされて幸せに生きることができるのかその問いの前に立っている 人間の内面の底の底まで掘りつくして、その奥に生きる神との出会いの場がある 無条件 無償の神がおられることを確かめたテレジア そのような出会い方を見直すことが今こそ必要

神ご自身との出会いの必要 時の印

「今日の人々は今日の信仰者私たちについてキリストについて語ってほしいだけではなくキリストに出会いたいと思っています。」・・・あなたが出会っている、わたしは出会っていないもの あなたが見ているものを私も出会いたい。中川神父にとってのドイツ人宣教者との出会いと同じ体験

教皇様 私たちがまずキリストの顔を観想しなければ私たちの証は耐え難いほど貧弱になるでしょう。知識ではない。問題は私たちがキリストに出会い、どうキリストと生きるか、生きたキリストの光を輝かせるか

即効型の解決法があるわけではない

多方面で世俗化が進む中 世の中に 霊性の要求が見られる これが時の印

霊性 私を支え生かしているものの存在

キリスト信者の義務は、規則ではない。心の深いところで神と出会うことができることを示すこと。世の中の人があなたはどうやって神様と接触しているのですかと尋ねられた時、こうやっているんだよと伝えられるか。

スティーブンピンカー「暴力の人類史」 世界は確実に安全になってきている 

社会は決して暗黒に向かっているわけではない 

教皇様も不毛な悲観主義に注意するように呼び掛けている 

時の印は霊性 神ともう一度出会いなさい

アビノの聖テレジア 自分の心の最も深みに神がいることを実感 私の中に無償で私を愛し私を生かし与え続ける神がいる。ミサのたびにパンをいただく私たちも体験している。

先に愛したのは主です。回心したら愛してくれる神ではなく、何かをしたからあいしてくれるのではない 何もできなくても何もしなくてもそんな私のために命を懸けて愛してくれたことに気づく

全く神を排除したら、全く神を受け入れなかったら・・・霊魂は自らを粉砕、焼かれ、自分自分を切り刻み、自分で自分に絶望する体験。どんな人にもこのような体験をさせたくないという思いから霊に特化した修道会をつくる

キルケゴール「死に至る病」 人間の存在は霊的 神が息吹を吹き込んでくれる この息吹を止めることが死である

テレーズの生き方、アビロの聖テレジアの共通点 使命をいただいたとき 神不在の体験をする そこから、神に心を向ければ全く新しい道に 信頼の道に歩み始める

<結び>

四旬節 はじまり 灰の水曜日 あなたはチリにかえっていくと説かれた

誰もがいつでも頻繁にいつでも耳に入れておくべき三大真理

  • 神はあなたを愛しておられる すでに知っている、きかされていてもかまいません。神はあなたが大好きです。このことを忘れないでほしい。
  • 神はあなたにご自分のすべてを与えつくしています。パンになって食べられても
  • この方は昔いた素晴らしい人ではなく、今もあなたとともに生きておられます。

このことを受け入れていく回心を通して希望の巡礼者になる

キリストと一緒に生きる人がこの時代を開いていく 

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