
◆第一朗読 イザヤの預言 イザヤ56.1,6-7
◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙
◆第三朗読 マタイによる福音 マタイ15.21-28
◆ギャリー神父様のお説教
日本では今はお盆です。お盆には終戦の時期ですから戦争で亡くなられた方々を偲んで、親戚が集まって過ごします。日本に長くいるとお盆に家族が集まって先祖や死者たちのために祈りをささげるこの習慣にだいぶん慣れてきました。震災後、東北地方に滞在し活動していましたが、東北では家族が集まると灯をともし、その火を囲んで家族が一緒に過ごして家族のきずなを確かめたり死者を偲んで祈りをささげたりしていて特にお盆の習慣が強く残っている印象があります。
今日の福音ではイエスが自分のおられた場所から80キロメートルも離れたシドンの地に行かれたことが書かれている。伝統的なイスラエルの考え方では、そこの人々は異邦人、カナン人と呼ばれていてイエスが自分の外つまり別のところに追いやられたことが示されています。
先週のミサの中で読まれた福音書によると、イエスは海でおぼれそうになるペトロに対して、信仰の薄いものよと言い波をしずめられました。その前の福音書では、預言者が異教徒や指導者たちに嫌われて追いやられ、預言者を励まし信仰を強めた場面が描かれていました。今日の福音書ではカナンの女はイエスに、「主よ、メシヤよ」と叫び、「主よ、どうかお助けください」とイエスを絶対的に信じ、イエスに願い求めることで結果的にむすめを癒しました。
イエスが、子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけないと言われたことは、自分の願いを拒否されたかのようにみえるかもしれませんが、カナンの女は「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」と答え、イエスが必ず何とかしてくださると信じて疑わないのでした。カナンの女は救いの計画は神がお決めになることであり、自分が一番ではないことをわきまえ、イスラエルの優先性を認めながらも、神のめぐみは無限にあふれ出るとつよく信じていたのでした。この信仰が篤いカナンの女のことをイエスは感心されました。イエスが信仰があついことで人を褒めたのは、カナンの女と百人隊長です。私たちは、ミサの中でご聖体をいただく前に「主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしいものではありません。お言葉をいただくだけで救われます」と唱えます。ある意見によると、その部分がミサの流れを遮るようだと思う方がいらっしゃるようですが、その言葉は強い信仰を表す言葉なので実にその場にふさわしいお祈りだといえると思います。
「主よ、助けてください」という言葉は、短いですが強い信仰を表す言葉です。私たちは自分の信仰がもっと大きくなるように願ってこの短い祈りをささげます。お盆は広くつながる家族のつながりを感じて、確かめる時期です。そのつながりのように、私たちは神様によって一つの信仰に結ばれている家族なのですが、神様の家はもっともっと大きくて広いです。カナンの女が示した信仰の強さに倣って、私たちの信仰も強くなるように、自分が優先だという思いではなく神様の救いの計画は神様がお決めになることであり、その神様のめぐみは無限で広いということを理解しましょう。神様のはたらきが私たちに及んで、私たちが自分たちの生活の中でよい働きができますように祈りましょう。

◆トピックス
今日初めて姫路教会を訪問してくださった方として、二十人ほどのフィリピン人の若者が紹介されました。普段は他市で働いておられるということでした。同郷のギャリー神父様とお会いになれ良かったです。
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