テーマ「回心して 福音を信じなさい」
講師:カトリック姫路教会主任司祭ジョニー神父様

本当は黙想会と説教はそれぞれ別々であるけど、忙しい信徒の皆さんにとって黙想会と説教を別々にすると長い時間がかかるので、本日の黙想会はミサの中で説教にかえて行います。ミサのなかで行われるから仕方なく参加するとか、参加しなければならないから仕方なく参加するという姿勢はせっかくの黙想会がただ負担になるばかりで良いことがない。みなさんには、自分はカトリック信者として神様からお恵みをいただき、神様の与えてくださったこの命を大切に正しくいきたいから耳を傾けてみたいという積極的な姿勢で参加してほしい。なぜなら信仰は自由に生きる中でこそ育まれるものだから。強制された信仰は捨てられる場合がある。
「回心して福音を信じなさい。」
灰の水曜日のミサではどこの教会に行っても、 司祭が灰を私たちの額にかけながら、 この言葉を唱えます。 回心して福音を信じなさい。 このことばは四旬節の期間中、 最もよく耳にする言葉であり最重要テーマです。信仰の道に入りたかったら回心に招かれているということです。信仰と回心は切っても切れない離れられないものです。
回心って何でしょうか?
回心とは、毎日の生活のなかでできてしまった汚れをあらいきよめることです。
例えば、昔悪いことばかりしていた信者ではなかった人が今は神様を信じるようになった。 信じるようになったとすれば、 過去の生活をやめなければならない。 神様に提案される生活を行い、 神のもとに立ち返る。私は今はもう信仰のめぐみをいただきました。 これからは信仰の道を歩んでいく。 ということです。人間ですから、途中で 神様に求められることをするのを忘れたり、教会の教えを守らなかったり、間違うこともあったでしょう。今、四旬節にあたり、 神様に言われているのは、「 止まれ、チェックしなさい。 まだまだ正しい道を歩み続けているかどうかチェックして、そうでないならば、 もう一度神様に立ち返ろう。 あなたは放蕩息子です。 ちゃんと父の家がありますよ。そこに帰りましょう。」ということです。回心とは自分が間違った道にいることを認めて正しい場所へ戻ろうとすることです。
もう一つの意味は、 悪を退け、罪の許しを得る。その方法は、私たちの場合は、 許しの秘跡を受けることで、そのチャンスを与えられています。 姫路教会で受けることが無理なら、 加古川でも、 仁豊野でも、この隣の淳心会本部の司祭のところまで 行ってもいいです。 回心の始まりは神様にこの自分の罪の許しを 求めるということなのです。 そして問題は、罪という言葉です。 この言葉を使っているのは、 カトリック信者だけではない、プロテスタントだけではない。 日本の社会でも、 罪という言葉が使われている。 だから、勘違いが結構あるでしょう。葬儀ミサを行っている時などに 死者のために祈っているが、あるご遺族が怒ったことがあります。「 私の母親は罪を犯していない。」「 わたしの父親は罪を犯していない。 」と。つまりこれは、罪の意味が分かっていないからおきる誤解です。罪とは何でしょうか。
人が神に背き、 神の命令に従わない時に、それは罪となります。 神様から受けた命令があります。 その命令に従わないと、 神様の前では罪になります。 罪は、神の言葉や掟に背くことを望んだり怒ったりしたりすることです。 というのは、人間には自由があります。自分が心の中で決める。「 私はこれをやります。 もう神様に従いません。」そういう気持ちがあれば、 ジョニー神父はそれを見ぬけない。 でも、神様は人間の心を見抜くことができますので、 わかっている。 神様に対して、それは罪になります。 罪とは、神と人間、人間同士の断絶の状態であり、 心の繋がりがない状態です。 言い換えれば、神様との縁を切ってしまう。 人間同士の縁を切ってしまう。 教会に行くときは、椅子に座ったまま、 顔を祭壇だけに向けている。 祭壇には、白い服を着た司祭だけがいる。 神様はいない。 でも、神様は本当に人の中にいる。 なぜかというと、この私たちは、 神様の姿にかたどって作られたものである。 めに見える人間同士、仲間を愛さないと、 めに見えない神様を愛することもできません。 それを心に留めましょう。
イエスは、マルコの7章、 20節から30節に罪についてイエスの言葉で教えています。 人間の心から出てくるものこそ、人をけがす。 人間の心から悪い思いが出るからです。 罪は私たちの心の中にある。 淫らな行い、盗み、殺意、 姦淫、暴力、悪意、詐欺、 私たちがはたらいているところでは大丈夫ですか。 暴食、妬み、悪口、これはウイルスです。 家族や小教区を壊す者は、悪口、 コロナウイルスみたいなものです。すべて、心の中にあって、 心の中で隠れている。 これらは、プロテスタント教会の人たちの考えたかと一緒です。私たちはどの罪を退けたらいいのでしょうか? 告白したい罪はどれでしょうか? 回心すべきところはどこでしょうか? 心の中でチェックしましょう。 ミサが終わったら 分かち合いすることをお勧めします。 回心すべきところを見つけるために、 神のおきてを考慮してチェックしたほうが、見つけやすくなります。 なぜかというと、 罪の一つの意味は、 神のおきてを守らないということです。 カトリックの教えによると、 神のおきては十戒と呼ばれ、10個あります。

①私はあなたの主なる神、 私の他に神があってはならない。
偶像礼拝や占いや迷信を信じて、 生活が左右されることを戒めています。偶像とは、人の知恵で考え出されたものです。 偶像を浮かべることは、自分を神にすることです。
②あなたの神、 主の名をみだりに唱えてはならない。
神の名によって約束したことを 実行することが教えられています。 アフリカでは時には嘘をつくでしょう。 嘘なのに、それを信じさせるために、 神様の名を口に出してしまう。 「神の名によって」と言うんです。
③主の日を心に留め、それを聖とせよ。
日曜日や守るべき祝日には、仕事を休み、 ミサに参加することが教えられている。 日曜日はミサに参加しないと罪になります。 1月1日、元日の日曜日、クリスマスの時、 ミサに預からないと罪になります。 平日のミサを欠席しても罪にならない。 カトリック教会の教えですね。 でも、日本では ある人たちは日曜日まで働いているのです。 その時はどうすればいいのか。 ミサに行くか、仕事に行くか。 仕事に行かないとくびになる可能性が高い。 難しいかもしれない。 だからある小教区では、 土曜日夕方にミサが行われる。姫路教会の場合は毎月、 別のところにミサがある。
④ あなたの父母を敬え。
これは特に子供たちにむけてのことでしょ。 どういう 意味だとおもいますか? 父母に従い、指導者を尊敬し、 その教えに聞き従うように教えられています。 指導者というのは、 例えば学校の先生ね。 あるいは日曜学校のリーダーたち、先輩たち。 例えばジョニー神父もね。 だから家では、ママに言われること、 パパに言われることね。 そこに従いましょう。
⑤殺してはならない。
私たちにとって殺すというのは、 ナイフで刺す。 拳を打つ。 でも意味が広いです。 それだけではない。 人を憎み、恨み、 差別や仲間外れにし、 暴力を振るうこと、悪口を言うこと、 殺すことなどがないように教えられている。 ことばで人を殺すこともできるよ。 教会でデブと言われたこともありますよ。馬鹿と言われたこともある。 サッカーを見ている人たちはレアルマドリッドのミニシュスが よく悪口を言われるでしょう。 そう言われたら、殺されていると同じです。 口で誰かを傷つけていないか注意しましょう。
⑥姦淫してはならない。
結婚式をする前に、男女の肉体的交わりや 結婚した後に、 配偶者を裏切るような浮気や行為をすることが 悪であることが教えられている。 浮気ね。 それは皆様のことだけではないよ。 私もね。 司祭として、 司祭でありながらある女性と仲良くしているとなるとあるところで線を引かなければならない。
⑦盗んではならない。
万引きや詐欺、暴動、盗みなどが 悪であることが教えられている。 それをやってしまえば、罪になります。
⑧隣人に対して偽証してはならない。
嘘をつくこと、偽りの証言をすることが 悪であると教えられている。
⑨隣人の妻、夫を欲してはならない。
⑩隣人の財産を欲してはならない。
人のことや人の持ち物、財産を 羨ましがったり、ねたんだりすることが 悪であるという意味です。
ここで一旦ストップします。心の中で、 この神様のおきてのうちで自分はどのおきてにそむいたことがあるかチェックしましょう。この十戒を分かっているとチェックしやすい。 カトリック信者としてこの十戒を覚えていますか。 アフリカでは これを覚えてテストにパスしないと初聖体を受け取ることはできなかった。日本では試験しようと思ったら、みんなに逃げられてしまう。でもこのまま覚えないままの信徒でよくなってしまったら 明日の教会はダメな教会になります。 今はそれを覚える時期です。 このチャンスを逃してしまうと、もうダメです。
次に、神様にいただいたおきてとして 十戒があって、さらにまた教会にもおきてがあります。
①主日と守るべき祝日にミサに与り仕事を休むこと
日曜日のミサは、病気でなければ、 私たちは必ず参加しなければなりません。ミサを欠席してテレビを見て、東京マラソンだけを楽しむことができません。 まずミサに預かってから、新たなマラソンを楽しむことは大丈夫です。 日本の場合は、守るべき祝日といえば 1月1日とクリスマス、 他の国では聖母の被昇天を守るべき日にしていることもある。 国によって違う。
② 許しの秘跡を受けること。
毎週じゃなくてもせめて年に一度 特に 復活祭あるいはクリスマスを祝う前に ゆるしの秘跡を受ける。 今日はそのチャンスを与えられています。ミサの後どうぞ受けてください。あるいは ジョニー神父の顔を好きじゃないから、というような場合は隣の淳心会のところへ行ってください。他にも加古川、あるいは飾磨、相生、仁豊野へ行くことも可能です。ご自由に自分の意思で遠慮なく許しの秘跡を受けるところまで行ってください。
③少なくとも年に一度ご聖体を受けること
洗礼、堅信は一度しか受けられません。 でもご聖体を受けるチャンスはいつでもあります。 自分の心をチェックして、普段受けることが難しくてもせめて年に一度はご聖体を受けるように頑張ってください。教会においては信者たちに義務だけではなくて 権利もある。 それを覚えておきましょう。 ご聖体をいただくのも権利です。
④大祭、小祭を守ること
断食の日とされているのは昔々は40日間だったが、 今は灰の水曜日と聖金曜日。 断食と言っても何も食べてはいけないという意味ではない。 あるいは、 聖金曜日と灰の水曜日だけ 肉を食べるのを控えることです。 もう灰の水曜日が過ぎたので残っているのは 聖金曜日です。 この前の灰の水曜日に みなさんはこれを守りましたか。
⑤ 教会が必要とする 物質的な支援をすること
簡単に言えば 教会は信者の維持費で保たれているということです。ご聖体、ミサのぶどう酒、今は寒いですから暖房、燃料なども必要になります。 お金がかかっています。 このお金はどこから来るのでしょうか。 これからこの建物を 修繕しないといけない。 皆様の方から援助を 差し出すことが求められています。しかし、注意が必要でしょう。統一協会の問題があります。 ここで求められているのは 自分の給料を全部もってきてください という意味ではない。 子供たちの 面倒を見ない ご主人様の面倒を見ない 奥様の面倒を見ない。本来その家族のために使われるべきはずだったお金を教会だけにもっていってしまったりしないでください。それは教会が求めていることではないので 注意しましょう。みなさんは サッカー観戦したり ビールを飲むでしょう。 タバコも吸っているでしょう。 大谷選手を見るために 東京まで行く人もいるでしょう。 もしそうなら、神様のために 1000円とか、5000円 1枚いいんじゃないの?
心の中でチェックしましょう。 昨年の 復活祭から 今日に至るまで この教会においても 守りましたか? ご自身が 回心を求められているところは どこでしょう。 心の中でチェックしておいてください。 神様のために 自分の救いのために。 目的は自分のためです。 自分の救いのために 回心しないといけない。
できれば また私と ここに残っていてこれについて分かち合いしましょう。 信者同士や 他の教会の仲間たちと 分かち合いすることによって より知り合うこともできる。 この共同体ではお互いの名前も 顔も分からない。 淳心会の仲間は時に、私たちは 日本たちの小教区の信者のこと まったく分からないと言っている。 事実です。 原因は宣教者たちが知りたくないから分からないという意味ではなくて 分かるためのチャンスが与えられていないことです。これまで何度も何度も言ったことですが、ジョニー神父はミサが終わると 出口に立って皆様に挨拶するんです。しかしそこを通らないで、顔を見せに来てくれずに別の出口にむかって、自動ドアのほうから上手に出て行ってしまう人がいます。そのようなことで どうやって司祭が信者一人一人のことを知ることができるというのでしょうか。 外国で宣教されている私たちの仲間たちに対して 私たちはうらやましく感じることがあるんです。 良いなぁ良いなぁ良いなぁ。なぜってそこでは信者と司祭がよく知り合ってつながれているから。 ここでは信者と司祭の ことだけではなくて 信者同士が知り合っていない 、話もしたくない。だからこちらから知り合うチャンスをつかみに行くことさえも難しいのです。今私は 一つの悩みを感じているのです。例えば洗礼志願者が いるでしょう。洗礼志願や堅信の時に 代父母を付けるでしょう。その代父母を見つけるのが大変なのです。どうして大変なことになっていると 言いますと 皆が知り合っていない 、勇気を出してこの人に近づいて どうぞ 私の代父母になってください という勇気もない。 それが日本の教会です。 以前 私がまだ 日本の教会にきて間がないころ、洗礼を授けた子がいます。 今は 多分12歳 13歳になっているその子が 自分の 代父母のことを知りたいと思ってさがしているけど誰かわからない。洗礼や堅信を受けた後でも自分の代父母と話せるような共同体を 作りたいです。 姫路教会の場合 どんな教会を作っているんですか? 用事を済ませるだけの場所になっていませんか。 日本の教会に来て 私は日本の代父母の皆さんをさがすことが大変だとわかりました。お疲れ様ですね。みなさんもそろそろ黙想会にお疲れさまですね。この黙想会を通じて皆さんが神様からのメッセージを受け取り神様に立ち返ることができればいいなと思います。

感想
十戒をおさらいできてよかったです。そして、教会のおきては正直正直、知らなかったです。(きゃー😢 叱られますね)慣例として知っている、やっている。でもちゃんと掟として掲げられていることだったのですね。むかし、自らのことを「私は不良信者です」と自虐ネタにしたり、友達同士でミサをさぼる人のことを「不良信者」とからかいネタにする時代がありました。これからはこの教会のおきてに背くことが不良信者であるという認識で行動しようと思いました。
十戒を覚えないとジョニー神父様の故郷コンゴでは初聖体を受けることができないようです。そして、信者が十戒を頭に叩き込んでいない場合、その教会共同体の未来は暗いというジョニー神父様の喝にわたしの目が開いた気がします。ここで十戒を叩き込めることが起死回生のチャンスです。教会共同体が大事にしている根幹は十戒を含む神の教えであり、その骨組みを強く鍛えておかないと共同体の骨組みがもろく崩れ、どんなに人が集う教会であってもその未来は明るくないと思いました。
少ないながら小学生や中学生や高校生世代が黙想会に参加していました。この若い子たちの耳に、神父様の語り口で十戒や教会のおきてが語り掛けられた意義は大きいと思います。初耳だった子もいたと思いますが、良いまなびの種をいただけたと思います。
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