2025.06.15 三位一体の主日

主は、その道の初めに私を造られた

◆第一朗読 箴言8.22-31

◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ5.1-5

◆第三朗読 ヨハネによる福音 ヨハネ16.12-15

◆神父様のお説教

 三位一体を説明するのは難しい。日本語でもどこの国の言葉でもこのことを説明することは難しい。あまり説明しすぎないように気を付けようと思う。なぜなら説明しすぎると異端になるかもしれない。また来日して間がないころ、政治の世界でこの言葉を使っているのを聞いたことがる。(小泉総理大臣の時 (1)国庫補助負担金の廃止・縮減、 (2)地方交付税の縮小、 (3)地方への税源移譲、の三つを一体でおこなおうというものです。 2003年の6月27日に閣議決定された、小泉内閣の 「骨太の方針第3弾」 で、その内容が示されました。 「補助金」は公共事業などを誘導する「ひもつき行政」にも使われ、その改善の要望がだされてきました。)

 「聖書と典礼」2ページ目に書いてある通り、きょうの三位一体の主日は、キリストの受難、死、復活、聖霊降臨という救いのみわざを通して示された神のいのちの神秘を祝うものです。父である神は、みことばである御子イエスと聖霊を遣わして、ご自身を現わしてくださったのです。

 神様はそれぞれのペルソナ(仮面)を持ち、父である神、子である神、聖霊である神になる。その3つが揃うときのみ神になる。その3つは永遠に横並びに一つになっている。どれか一つが前になったり後になったりするのではなく、常に一つ。

◆トピックス

今日は父の日のためのミサでした。教会学校の子供たちが典礼奉仕をしました。また、ミサの中で神父様が父である男性すべてに前に出てくるように呼びかけられ、たくさんの男性が祭壇の前に並んで神父さまの祝福を受けました。

 その後、子供がミサに参加しているお父さんたちは子供から手紙のプレゼントを受け取りました。

◆感想

 三位一体は政治でも使われましたが、我々がカトリック教会の教えにのっとって理解する三位一体とは違うものです。三つのものが揃って一つになり、そこで真価が発揮されるというイメージでこの言葉は魅力的で様々な場面で使われています。父と子と聖霊との御名によってといいながら十字架を切りますが、十字架を切るたびにこの言葉を味わいたいと思いました。

 

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