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  • 2026.01.01  マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた

    ◆第一朗読 民数記6.22-27

    ◆第二朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙 ガラテヤ4.4-7

    ◆第三朗読 ルカによる福音 ルカ2.16-21

    ◆ハルノコ神父様のお説教

     新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。昨夜はインドネシアからの学生たちと一緒に過ごした。紅白は見なかったけれど、お酒も飲んで楽しかった。そしてパーティを終えて、0時にはお祈りをしました。

     楽しく大晦日を過ごしたけれど、年が経つにつれて変化することもある。年賀状も昔に比べて少なくなるとか、出す相手がいなくなるとか、昔子どもだった信者が大きくなっているとか、かわいらしかった、今もかわいいけど髪に白髪が混じるようになったとか、人も変化する。そんな中で、感謝すべきことがあることはかわらない。感謝を忘れてはいけない。

     はたらいて、はたらいて、はたらいているのにお給料が増えないとか、がっかりすることもあるでしょう。それでもいいのです。マリア様は私たちのすべてを見てわかって、しずかに心におさめてくださっています。今日のルカの福音にも「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた」と書かれています。イエス様ご誕生の良いニュースを一番初めに告げられたのは、羊飼いたち。当時一番貧しくて虐げられていた人たちにこそ、一番初めに喜びが告げられたのです。

     私たちは人間だから間違いを犯すことがある。でも、許してあげて、許されて、私たちは新しい一歩を踏み出すことができる。キリスト者として神様の前で一つになって、結ばれて、神様に向かって心を合わせることができる。大晦日、元日、多くの人々がそれぞれの神様に向かって神社やお寺で手を合わせて祈る姿を目にすると、カトリック司祭として大きな喜びを感じる。そこには平和があるから。祈りから平和が始まるから、問題があっても、お金がなくても、大丈夫。不安はいつでもあるけど、マリア様のように明るい心で神様に祈る姿勢があればなにも問題はなくなる。

    ◆感想

     不安や問題があっても大丈夫。マリア様のように明るいこころと神様に祈る姿勢があれば問題ない。この言葉に年頭から励まされました。昨年は、特に自民党の政権が交代してから特に政治が悪い、政治家が悪い、社会がよくないほうに向かっていくと感じて不安になり、政治家への不満を募らせていました。

     戦争や社会の不安がなくならないことに対して、どこにどのような問題があるのかをしっかり考えて、その問題に対してキリスト者として声を上げる必要があれば上げるあたりまえの行動を後退させないようにしたいです。しかし、一方でその話題や思いにとらわれがちになってしまい、自分もこころもネガティブにとらわれてしまいがちです。今日ハルノコ神父様に、マリア様の心を説かれ、良い気付きがありました。ハルノコ神父様はいつも朗らかで温かく、神父様からもマリア様の心をいつも感じさせていただいています。私もマリアさまに倣うことができますように願います。

     新年の0時のミサはありませんでした。10時のミサは満席状態で祈りをささげました。1月1日は世界平和の日とされ、「信仰の原点に立ち戻り、すべての善意ある人々と手を携えて、平和な世界の実現に向かって、カトリック信者としての責任を果たしていく」ことが求められています。私は、絶対に日本が戦争しないように、戦争ができる国に向かわないように、自分にできることを考えるつもりです。

  • 2025.12.25 日中のミサ ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。

    ◆ギャリー神父様のお説教

    イエスの誕生でこの世の悪が打ち払われた。しかし、わたしたちは争いごとや戦争など依然として悪があることに気がつく。イエスのやり方は悪を一掃して、きれいに何もなかったということにするのではなく、その矛盾や罪に向き合い、神様の教えに従って生きようとするときに私たちの中にとどまり、ともにいて、いっしょに働いてくださるもの。

    ◆感想

    イエスの働き方は、世間一般のヒーローやヒロインとは違う。どこまでも深くへりくだり受けいれ、どこまでも近くにいて励ましてくださり、どこまでもつよい。その強さはやはりイエス降誕の神秘と通じると思う。貧しいのに豊かで、弱いのに強く、逆説的だと思う。神様の愛を感じながら励まされ、力付けられ、強くなり、生きていけたら豊かな人生だと思う。自分の弱さや逆境は神様の力を注いでいただくためのお恵みになる。

    ◆トピックス

    ギャリー神父様はフィリピン出身の淳心会の神父様で、2000年に来日されました。大阪の生野教会や堺教会、島根県松江教会などを経て、震災後は青森県、宮城県、岩手県など東北地方で活躍されました。

  • 2025.12.25 夜半のミサ 今日あなたがたのために救い主がおうまれになった

    ◆ハルノコ神父様のお説教

    クリスマスの喜びは、暗闇で不安や痛みを体験した母を思い出すと理解しやすいかもしれない。おなかの中の子供がこの世に生まれ出てくるためには、体験したことのない痛みや不安で心細い。しかしその世に赤ちゃんが生まれ出てくると大きな喜びに変わる。

    イエス様が生まれるとき、そこには産婆もいなければ、医療者も、医療設備もない。貧しい馬小屋でお生まれになり、飼い葉おけに寝かされたイエスに天使や博士、羊飼いたちがお祝いに来て、それもいつかみんな自分たちの場所へ帰っていく。そうなると残されるのはマリアとヨセフとイエスのみ。しかし本当のパーティーはそれから始まるともいえる。

    ◆感想

    イエスさまがお生まれになるとき、時代はローマ帝国が地中海一帯を支配していた時代、その世界の片隅に起こった救い主イエスの誕生の様子が記されている。ひっそりと目立たぬ場所で控えめにお生まれになった様子を想像するとそのすべてがイエスの教えやなさり方と一致する。一番弱い立場でこの世に遣わされたイエスを思い、その神秘を味わい、現代を生きる私に何が響くのか、何が呼びかけられているのか、黙想するとしみじみとうれしい気持ちが湧いてきた。

    ◆トピックス

    ミサ中に一人の小学3年生の女の子の初聖体式がありました。はじめて拝領したご聖体の感想を尋ねられると、「おいしい」と話していました。大きな喜びのミサの中で一人でうけた初聖体式の記憶は種となり、これからの人生を通して大きく育っていくことでしょう。

  • 205.12.21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。

    ◆本日のお説教 ハルノコ神父様

    今日の福音にはヨセフさまの良いところがあらわれている。

    聖書にヨセフさまが登場されることはあまりない。ヨセフさまは静かに、しかし大切な人をしっかりと守り、力になられる方である。マリアが身ごもったことをしり、ヨセフは驚いたに違いない。そして、おなかの中の子供が自分の子供ではないことを知ったに違いない。マリアを守るためにひそかに別れようとしたが、天の声を聴いてマリアが身ごもったことに神様の介在を知り、マリアを守り、迎えようと心に決めた。その静かではあるが芯が強い行動にヨセフさまの良さがあらわされている。

    ◆感想

    イエス様の降誕について、知れば知るほど、毎年味わいが変わるのはそのドラマとその奥深いところに、自分の人生経験や価値観を照らし合わせながら見つめるからかもしれません。赤ちゃんが生まれた、おめでとうというシンプルな祝い方をすることに重点を置いた時もありました。その後もクリスマスの意味を味わう体験を重ねるにつれ、若いときには思いいたせなかったヨセフさまの気持ち(婚約者が自分の子供ではない子を身ごもった状況)などもいろいろと考えたり気が付いたりすることが増えました。今日の福音ではヨセフさまの良さを味わうことができました。そして、人間の男性の強さとはどのようなものか想像しました。静かで大げさなことは言わないけど愛するものを守る姿は愛に満ちる姿です。現代でもこのような素晴らしい男性はいるでしょうが、なかなか現代社会の価値観では気が付きにくいかもしれません。

  • 2025.12.7 エッサイの株からひとつの芽が萌いで・・・

    ◆第一朗読 イザヤ11.1-10

    ◆第二朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 ローマ15.4-9

    ◆第三朗読 マタイによる福音 マタイ3.7-12

    カレンガ神父様のお説教

     私は現在加古川教会に赴任しているが、以前姫路教会にいたことがあるので、ここでは卒業生の気分になる。さらに、今日は巡礼団で来られたシスターの中に神学生のころ阿倍野教会にいた時お世話になったシスターがいらっしゃるので、緊張します(笑)

     今日の福音書は、主の道を整えるようにというメッセージです。祭壇の前に馬小屋がすでに準備されているが、赤ちゃんはまだいない。この馬小屋は幼子を迎えることができるようにと教会共同体の信徒の皆さんが準備してくださったものであるが、うれしい気持ちで作ってくれたと思う。その気持ちが大切です。教会の外にはベトナム人の皆さんが馬小屋を作ってくれた。加古川教会でも同じく、教会の外側の馬小屋はベトナム人の信徒、中のホールはフィリピン人の信徒、聖堂の中は日本人の信徒というふうに民族が違っても調和して気持ちを一つに合わせて準備にあたっている。作っている時のうれしい気持ち、調和して準備する気持ち、喜んで作る気持ち、その気持ちが一番大事です。そして、そのこころを準備するということが今日のヨハネが言う準備と同じである。

     復活祭にも四旬節という準備期間があり、クリスマスにも待降節という期間がある。その期間は気持ちを整えるための準備期間として、許しの秘跡を受けてイエズス様をお迎えできるようにしなければいけない。準備をする待降節の準備はクリスマスの準備になる。

     今日の第一朗読では、「調和させることをミッションとしてもたらされる神さま」が描かれ第二朗読では調和するための具体的な方法とアドバイスが描かれている。

     イエズス様は調和をもたらすことをミッションとしておくられた。イエズス様に招かれている私たちにとって、そのミッションは私たちもミッションとも通じます。準備(調和)しましょう。

    ◆感想

     カレンガ神父様は姫路教会の主任司祭であられたので、実際今日も、結婚式を挙げた際お世話になった神父様だと話している夫婦がおられた。カレンガ神父様は驚異的な記憶力の持ち主なので、きっと彼らのことを覚えておられるだろう。

     準備するときの気持ちが大事という言葉が印象的でした。成果主義が横行する現代、結果に至るプロセスや人の気持ちの部分は省略される結果になりがちです。結果よりむしろプロセスが大事という当たり前のことをこの待降節に重ねて考えることはなかったですが、神父様の言葉に気づかされました。

     心を清くして、幼子をお迎えできるように準備をしましょうといわれました。ちょうど共同祈願では小学低学年の男の子がこう祈願していました。

     男の子 「待降節に入りました。僕たちは教会学校で神様のことを勉強しています。きれいな心で神様をお迎えできるように、神様たすけてください」 たどたどしい言葉でしたが、本当にその通りだなと思いました。

     今日の説教では、気持ちが大事ということと、調和が大事ということが心に残りました。調和、つまり「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」の福音の言葉にある通り、お互いに受け入れあい仕えあうこと。忍耐が必要だけど、その我慢を神様におささげする気持ちで我慢して、目の前の人を大切にできたら平和が実現すると思いました。

    ◆その他

     本日の週報によると、ジョニー神父様は1月25日(日)のミサまでの間ご不在です。その間朝7時のミサはありません。12月9日(火)~13日(土)の平日ミサはありません。

     久しぶりにコンゴで夏休み休暇を過ごされたジョニー神父は11月日本に帰国されましたが、直後に妹さんとその後弟さんが相次いで他界されるという悲報に触れ、再び今後へ戻られました。私たち信徒にとっても大変悲しいことで、妹さんと弟さんのご冥福を心からお祈りすると同時に、心痛のさなかにあるジョニー神父様のためにお祈りします。

  • 2025.11.16 忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい

    2025.11.16

    ◆第一朗読 マラキの預言 マラキ3.19-20

    ◆第二朗読 使徒パウロのテサロニケの教会への手紙 テサロニケ3.7-12

    ◆第三朗読 ルカによる福音 ルカ21.5-19

    ◆ジョニー神父様の説教

    久しぶりです。(ジョニー神父様は故郷コンゴで休暇を過ごし、先週帰国されました。信徒にとっては今日は久しぶりのごミサです)

    毎年11月になると年末を迎える気分になって、終わりの時期、ということから終末論や世の終わりという話も耳にするようになる。今日の福音を理解したら、他のことは全部忘れてもいい。それくらい今日のみ言葉で語られていることは重要です。

    第一朗読のいうことは、つまり悪いことをしたひとは裁きを受けて地獄へ行く。善い行いをした人は天国へ行き、永遠の命を得るということ。み言葉をいただいたら、自分が自分に質問するとよい。それは良い行いか?悪い行いか?

    ある日裁判官がやってきたら、その結果を問われて地獄へいくか天国へ行くか決められることになる。だからいつも自分の行いに気を付けなければいけない。正しい道を歩めているか、回心しているか。地獄にはいきたくないでしょう。ただし、ある人は「天国でも地獄でも、大好きなお母さんやお父さんが地獄に行っているなら自分も地獄へいきたい」といった。それは注意しなければならない。子供たちにも伝えたい。教会に来るのは誰の意思なのか? 親が行きなさいというから来るのであればそれはただ教会に遊びに来ているだけになる。たとえ子どもであっても、自分の意思で、自分自身が救われたいから教会に来てミサにあずかるということが大切である。

    第二朗読では、世に中にこの世がもうすぐ終わるということでもうどうでもよくなって仕事を辞める人がいることに注意をしている。仕事を辞めてしまって、実際はこの世は終わらなかったからそのひとたちはお金が無くなって食べるものもなくなって、困って人々に助けを求めた。それは迷惑な行為です。パウロはテントを作る仕事をして、夜も昼も働いた。仕事と信仰を両立させていた。働きながら信仰生活をおくることは矛盾しない。

    パウロは終末論を誤解して怠惰な生活をおくる者には厳しい態度をしめしたが、誤解してはいけないことは現代社会の中に仕事をしないで助けを必要とする人が存在しているが、その人たちを助けるなということは言っていない。実際ジョニー神父はイタリアに滞在したとき、教会でたくさんの助けを求める人々をみた。彼らは正式に国に認められる形で入国しなかったためにイタリア国内で仕事に就くことができない人たちで、援助を求めて教会にやってくる。そしてイタリアの教会の信徒たちはそのひとたちを助けていた。姫路教会でもこのように困って援助を求める人が教会にやってくることはあるかもしれない。

    第三朗読では、エルサレム神殿崩壊の予告である。エルサレムと言えば神殿で、神殿はパワーのシンボル。終末論におびえるイエス様は惑わされないようにと説教される。

    終末論は昔の話ではない。いろいろな脅威が語られる。そして、信者の間にさえも同じことはおこっている。信者であっても惑わされることがある。気を付けなければいけない。信者に求められることは、インターネットやSNSの様々な情報を読んでもいいが、その内容を神様からいただいた知識を使って分析することである。いつも自分に問いかけ、それにかいてあることは神様の教えにかなったことかどうか点検して、分析することが大事です。みなさん、この世が終わりの時に天国に行くことができるようにしましょう。

    ◆感想

    久しぶりのジョニー神父様の説教でした。今の世の中、怖いことがたくさんあります。戦争も、自身も、食料難も怖いことです。でも、イエス様はどんなに怖くて嫌なことがあっても最後の最後にはイエス様が約束してくださる命の希望と喜びがある。どんな困難にあっても神様を信じて進んでいきなさいと励まされています。この神様のメッセージを支えに日々の暮らしをおくれたら怖いものはないという気持ちになります。

    「それは神様の教えにかなっているのかどうなのか」は私たちにとってありがたい基準、試金石です。詐欺やSNSの偽情報、政治家の誤ったメッセージなどなどあまりに多くの情報にさらされて頭がしんどいです。そんな世の中にあって、みるもの、きくものを、「それは神様の教えにかなっているのか」と問いかけるとたちまちその情報の偽の部分が剥がれ落ち、物事の本質を見抜くことができると思います。

    永遠の命をいただけるために、神様が教えてくださった道を歩もうとする私たちキリスト者は世の中の価値観に惑わされることなく、「それは神様の教えにかなっているのか」を基準に生きよ。そこを基準にしたとき、何だか背負っているものが軽くなる気がしました。

    ◆トピックス

    今日は姫路教会共同体の子供たちのお祝いがありました。

    未成年者とその親が祭壇の前に集められ、ジョニー神父様から祝福が授けられました。食前と食後の祈りの祈祷文カードとお菓子チョコボールがプレゼントされました。

    子どもたちは30名以上いるように見えました。驚きの人数です。ジョニー神父様はこの子供たちの多いことが姫路教会共同体の希望であると話されました。神に感謝。

    <七五三の祝別の祈り>

    子供たち「神様、私たちは、お父さま、お母さまのおかげで七五三のお祝いをすることができました。ありがとうございます。これからも元気なよい子になって、神さまを喜ばせることができますように、お守りください。アーメン

    親の祈り「すべての父であられる神様、この子供たちを授けてくださったことを感謝いたします。この子供たちが強く正しく生きるために必要なお恵みを常に与えてください。また私たち親としての尊い務めをふさわしく果たすことができますように、光と力を与えてください。心からお願いいたします。アーメン。