2025.7.6

行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす(ルカ10.3)

◆第一朗読 イザヤの予言 イザヤ66.10-14

◆第二朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙 ガラテヤ6.14-18

◆第三朗読 ルカによる福音 ルカ10.1-12、17-20

◆神父様のお説教

 エルサレムという名前が出てくるとき、今のエルサレムに神殿が建てられたという事実もあるが、それよりも神の教えに従う人が集まる場所のことをエルサレムという言葉で表されていると理解してほしい。神様はイスラエルの民に怒って彼らを故郷ではない場所へ連れていかれた。人にとって外国に暮らすことは簡単なことではなく、苦労や困難がつきものであり、もろい。でも神様は罪に対して罰を与えながらもなお彼らを愛された。

 第三朗読にある「収穫は多いが、働き手が少ない。収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなた方を遣わす。」とある。神父が少ないので召命のためにお祈りしてくださいということだが、現代の教会が直面している現状はもっと深刻である。先日大阪高松大司教区の会議の中で、ジョニー神父は「召命」分科会に出席したが、15名の聖職者のうち10人が外国籍の人だった。なぜ召命を選んだかというと、現在淳心会の若い修道者を預かる任務があることと、なぜ日本の教会なのに日本人の聖職者が少ないのか知りたいと思ったから。

 ここ姫路教会では隣に淳心会の修道院があり、戦後75年間の間、ミサを上げてきているがこの教会からたったひとりも神父になろうとする人がいなかったという事実は理解に苦しむ。この先日本には、日本人の神父様もそのうち司教様もいなくなるかもしれないことを信徒が考え、どうしたらよいか考えなくてはいけない。正直な話、外国人がいつまでも日本の教会のために世話を焼いてくれることは期待できないかもしれない。中国では外国人宣教師は中国で宣教することはできないし、行くこともできない。その意味で日本ではまだ外国人宣教師は入国が可能であるし歓迎されているが、あくまで外国人は日本の教会のことを日本人ほどは心配することはできないし、いつか日本から出ていかなくてはいけないことになるかもしれない。日本の教会のことを日本人が考え、心配することは当然である。昨年フランスでは16名の司祭が叙階された。コンゴではもっと多くの司祭が叙階されている。日本は・・・ゼロです。来月からジョニー神父は帰国するが、その間の姫路教会のミサをたててくださる神父様の確保の見通しはまだついていない。朝7時のミサはその間なくなることは決定している。

 召命者のため、聖職者のためにもっとお祈りしましょう。子供たちの召命を親は妨げてはならない。子供が自分の頭で考えて答えを出すまで親はサポートする必要がある。シスターになること、司祭になること、子供たちも全く考えないわけではなくて、少し考えてみてほしい。お祈りというとき、書かれてある文章を読むだけは祈りではない。聖書と典礼の共同祈願では、例文として書いてある文章はあるが、「例文」と書いてある。それを読み上げるだけでは足りない。自分の口で、自分の言葉にしてお祈りをささげてほしい。

◆感想

 先細りが心配な日本の教会。その対策はなにもなされていない。何かできることがあるかも気が付いていませんでした。もっと真剣に聖職者を輩出することを自分のこととして考えないといけません。反省。例えば、「一粒会」の献金にも無関心でした。反省。聖職者になろうとする人にもっと尊敬の念を払うべきでした。反省反省。我々の無関心が招いた結果だと神父様はおっしゃりたいのでしょう。ジョニー神父様はこうもおっしゃりました。「神は神父のなり手を天から雨のように降らせてはくれませんよ。」ごもっともです。でもどこかで私たちはそう思い込んできたのです。教会に豊かな人材があり、人々の交流も活発で、若い力もあふれていた頃、そんな心配をしないでのんきに過ごしていたのです。そして今、気が付けば教会は元気がなくなっていました。教会だけではなく、修道者も減少し、カトリック校も、カトリック法人立の病院も、先細りの一途にあります。未来を生きる人のためにも、大人はぼんやりと眺めているだけではいけないなという気持ちになりました。

 ミサの中でジョニー神父様はスマイルちゃんにむかって、「シスタースマイルっていうのはどう?考えてみたことない?」とかたりかけ、「ヨゼフ、ヨゼフ神父になることは考えたことない?」と語り掛けられました。子供たちはピンとこなかったかもしれないですが、そのような語り掛けが種となり、何かのきっかけで発芽して、成長し実を結ぶことがあるかもしれません。大人ができることは子どもたちの邪魔をせず、見守り、子供たちが考えられる人になっていくのを応援することです。

 ジョニー神父様から、自分の口から自分の言葉でお祈りできることを求められました。そのお説教の直後の共同祈願では、先日初聖体を受けた小学三年生の男の子が自分の口から自分のことばで考えたお祈りを唱えていました。

 K君のお祈り:ぼくたちは、先月22日に初聖体の秘跡にあずかりました。教会学校で神様のことを勉強して、ご聖体をうけて本当にうれしかったです。おとうさんとおかあさんからもお祝いしてもらいうれしかったです。ぼくたちのためにお祈りして応援してくださった神父様と教会の皆様に感謝します。これからもぼくたちが神様といつもいっしょにいられるようにお導きください。

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