
◆第一朗読 創世記18.20-32
◆第二朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙 コロサイ2.12-14
◆第三朗読 ルカによる福音 ルカ11.1-13
◆神父様のお説教
先週は「もてなす」がテーマだったが、今週のテーマは「祈り」いのること。ソドムとゴモラの罪は重かった。どういう罪かというと、性的な遊びばかりしていた。神様が滅ぼそうとしたが、アブラハムは許しを取り次いでいる。結果的にソドムとゴモラの町は滅ぼされてしまうがアブラハムの甥ロトとその家族は二人の天使によって救い出された。ロトの奥さんは逃げるときに後ろを振り向いたので塩の柱にされてしまい助からなかった。後ろを振り向いたということは奥さんの心がソドムとゴモラの町に残っていたということです。だから救われなかった。
アブラハムはソドムとゴモラの町の人のために神様にお祈りした。私たちも祈るときは自分のためだけを祈ってはいけない。他の人のために祈りをささげることが大切です。聖書と典礼の共同祈願の例文をみてもわかる通り、私たちの祈りは私たち姫路教会共同体のためだけに祈るのではない。
第二朗読では私たちが救われたのはキリストが死んでくださったからということを説明している。私たちは私たちのために死んでくださった神様とつながっていなければならない。神様とつながることが信仰である。
ルカによる福音ではイエスが祈りを教えてくださったことが描かれている。ごミサはすべての祈りの頂点です。そのすべての祈りの母(基礎・土台)は主の祈りです。主の祈りの中にお祈りの基本がある。何を祈るか、祈るときはどういう順番で祈るか。大切なことは何か。
主の祈りにあらわされている祈りのポイントは、
①まず初めに神を賛美し感謝する。
②神様のことを考えてから自分のことをお願いする。
③私たちも人を許す。ゆるしを求めるだけではなく、神様から見て罪びとである私たちがまずひとをゆるすこと。
祈りを勉強する一番の方法は祈ること。上達する方法は運動と同じ。運動はすればするほど上手になる。祈りも、祈りをすればするほど上手にできるようになる。苦しいときだけ、困ったときだけするのは祈りではない。苦しい時の神頼みは本当の祈りになっていない。祈りは忍耐強く、絶えず神様に求めること。
◆感想
アブラハムが神に許しを請い、甥のロトとその家族は天使によって救い出された。しかしロトの妻は逃げる途中に、後ろを振り返ったから塩の柱になってしまい助からなかった。その理由の解釈が「後ろを振り返るという行為は罪深い町に心を置いていたから」となるほどでした。
主の祈りはすべての祈りの母だそうです。主が教えてくださった祈りですから、考えてみればその通りです。まず感謝をささげて、神様のことを賛美して、それから自分の願いをする。自分のことばかり祈るのではなく、自分以外の人のために祈る。自分も神様に許されているのだから人のことを許す。祈りは祈れば祈るほど上手になる。祈りの極意を教えていただきました。

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