タグ: 希望の聖年 希望の巡礼者 ジョニー神父 赤窄深奥 むなし 貪欲 キリストがすべて

  • 2025.08.03 上にあるものを求めよ。そこには、キリストがおられる

    ◆第一朗読 コヘレトの言葉 コヘレト2.21-23

    ◆第二朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙 コロサイ3.1-5,9-11

    ◆第三朗読 ルカによる福音 ルカ12.13-21

    ◆赤窄神父様のお説教

     毎日のひどいあつさに何もしない、何もできない日が続いている。自分は、年を取って耳も聞こえにくくなり、補聴器をしても大勢の人が話すと何を言っているのか聞き取れない。物価の上昇もとまらない。何もかも値段が高くなる。一方で人間の価値は下がっていく。今日の第一朗読では、「むなしい」ということが書いてある。むなしいというのはどういうところからおこるものなのか。

     第二朗読では「貪欲」のことが書いてある。自分のためだけに求めすぎて夢中になりすぎるとき、人は貪欲になってしまう。貪欲に自分のためだけに富を蓄えたとして、でもその日に命を終えることになるひとのことがルカによる福音に書いてある。その人は自分のために富を積んだが、結果はむなしい。自分のためにばかり求める人はむなしい。そこに神様がいないのでむなしく不幸な結果になる。私たちは何かを求めるときに自分ではない、神様のことを考えなければむなしさから抜け出ることができない。キリストがすべてである。

    ◆感想

     赤窄神父様のゆっくりしたお説教で、ゆっくり思いめぐらしながら考えることができました。お説教はもっと時間も長く、話されたことも多かったと思いますが、思い出して書くことができなくて残念です。貪欲というくだりで、ここ数日夜な夜なネットショップで画面に映るモノに心を奪われていたことを振り返っていました。私にはタイムリー過ぎて、耳が痛いお話でした。確かに、何かを手に入れることに執着しすぎるときは、人は自分と欲望で頭がいっぱいになります。まさしく、「貪欲」です。神父様によると、人間の程よい欲求を超えても満足せずなおも欲しがることが貪欲だそうです。

     現代の社会の価値観は経済中心・経済重視に偏っているので、特に最近は物価上昇は止まらない反面、人間の価値は下げられている一方です。物質的な価値に夢中になりすぎることに注意を払うべきかもしれません。欲求を感じるとき、そこに神様のことや周りの人のことも考える余裕を持つように注意して、その欲求がむなしさにつながらないか、心の声を聴くことができるように気を付けたいと思いました。

    ◆トピックス

     ジョニー神父様は8/2から3か月間の休暇を取られます。どうかご無事に母国に戻られ、ご家族やご友人と旧交を温め、ゆっくり過ごしていただきたいです。そして11月には元気にお会いできることを楽しみにしています。ジョニー神父様がご不在の間、姫路教会に来てくださる神父様に感謝します。赤窄神父様しばらくの間どうぞよろしくおねがいします。

     聖歌「希望の巡礼者」2025年聖年の賛歌♪ が閉祭の歌で歌われました。これまであまり歌うことがない曲でしたが、今日はとても大きな声で皆さん歌っていて、子どもたちもよく声を出してうたって、素晴らしいなと思いました。

    この方は「むなしい」や「貪欲」とは無縁であったと思う。

    清貧に生きたアシジの聖フランシスコやその他諸聖人も同じくと思う。

    神様の前に豊かになるという生き方のモデルということだと思う。