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  • 2026.01.11 主の洗礼 これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者

    ◆第一朗読 イザヤの預言 イザヤ42.1-4,6-7

    ◆第二朗読 使徒たちの宣教 使徒言行録10.34-38

    ◆第三朗読 マタイによる福音 マタイ3.13-17

    ◆ギャリー神父様の説教

     今日の福音では、洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授ける場面が描かれているが、少し疑問におもう人もいるかもしれない。なぜなら、洗礼者ヨハネは人々の罪を悔い改めさせるために洗礼をしていたので、罪がないイエスに対してまで悔い改めのための洗礼が必要なのかと不思議に思う人がいるかもしれない。実際、洗礼者ヨハネは、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたしのところへ来られたのですか。」と言って、イエスが洗礼を受けられることを思いとどまらせようとしている。ところが、イエスは、「今は、止めないでほしい。正しいと思うことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」とおっしゃり、洗礼者ヨハネから洗礼を受けようとされた。

     洗礼者ヨハネはイエスにそういわれたので、結局言われる通りにイエスに洗礼を授けた。この洗礼者ヨハネの態度は、人間が自分の正しいと思うことを押し通すのではなく、神様の言われることを一番に優先させたということを表している。つまり、人間が思う正しさや考えかたを手放して、正しさや倫理観、考え方といった人間の物差しからいったん離れて、神様が言われることに従ったということ。人間がそのような反応をしたときにどんなことがわかるでしょうか。神様が言われる正しさというものが少しづつみえてくる。

     人間が思う正しさとは・・・

    人間の立場や規則を基準として考えられるものである。

     一方で神様が言われる正しさとは・・・

    人間との連帯、つながり、愛である。

    イエスは、「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と言われた。イエスの言われる正しさの正体とは何か。それはつまり、愛の関係ではないでしょうか。イエスは人と同じ立場に立つことで、神であるのに人とされた。そのこと自体が神の計画である。そして人となられたイエスは人間との連帯でもって愛の関係を示された。

     イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえている。この声は私たちカトリック信者一人ひとりにも向けられている言葉です。イエスの言葉に倣うとき、私たちにもこの声が同じように語られていることになる。洗礼を受けて、イエスの生き方を受け継ぐことを選んだ私たちもまた自分自身の狭い枠を守るのではなく、その枠を少しでも広げてできる限り神様に連帯するように求められています。

    ◆感想

     主の洗礼の場面はこれまであまり深く掘り下げて考えることがなかったです。今日お説教を聞いてはじめて考えました。私が思うポイントは2個ありました。一つ目は、神でありながら人とされたイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けることにあらわされた神様からの深い愛。神はどこまでもへりくだりながら人間への愛を示しておられると思いました。

     二つ目は、洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を授けるなどもったいないと常識的な考えを持ちながら、それにもかからず神の言われる通りに行動することで神の計画が実現したということ。人間のものさしからはなれて、自分の価値観や枠を取り払いながら神の招きにこたえることが私たちに求められているということ。その招きは愛の招きであり、連帯であり、人間が豊かに生きていくためのヒントが与えられていると思いました。

    ◆トピックス

     今年度カトリック姫路教会の典礼委員の取り組みとして、聖歌の練習が始まりました。ミサ開始前に10分程度聖歌の練習をしました。今日は、林裕美子先生(ソプラノ歌手)に閉祭の歌に指定されていた「ゆけ 地の果てまで」をご指導していただきました。ほんの数回先生の指導に従ってその通りにしただけで、驚くほど私たちの歌声がきれいでのびやかになりました。そして、閉祭で歌う時には気持ちよく歌うことができ解放感がありました。先生に言われたとおりにするだけで普段の自分を超える何かが出てくるとは不思議です。この場合、音痴だからとか、恥ずかしいからとかつまらないことに気を取られて遠慮してしまうことが常ですが、それにもかかわらずやってみることが大事です。なんだか今日のお説教のポイントと重なるところがあるとおもいました。歌の練習は今後も定期的に開催されます。

  • 2026.01.04 主の公現 主の栄光はあなたの上に輝く

    ◆第一朗読 イザヤの預言 イザヤ60.1-6

    ◆第二朗読 使徒パウロのエフェソの教会への手紙

    ◆第三朗読マタイによる福音 

    ◆ハルノコ神父様のお説教

     今日は新成人を祝福する日です。今日は3人の新成人が祝福を受けます。前席に座っている2人の女性と今日も侍者をしてくれている彼。東方の博士も三人でした。今日は成人になる3人のために話をしてみたいと思います。

     今日のポイントは3つです。ひとつめは・・・

    「星に導かれて」ということ。

    私たちは夜空を見上げて星を見ることを時々わすれている。でも、星に導かれて、イエス様のところにやってきた東方の博士たちのように星を見ることで、星に導かれて正しく道を進むことができることがある。この星は、神様のシンボルです。誰の心にも神様がいて、心配なことがあってもその星を見て自分が正しい道のりにいるか確認したり、星を目印に前へ進もうとすると、道を間違うことはない。新成人たちも、大人になって不安があっても大丈夫です。星を見て星に導かれていたら、つまり神様のことをみて、神様に従って、神様を目印にして歩んでいけばこわいものはない。

     二つ目のポイントは、

    同じ道を引き返すのではなく、別の道を歩んだこと。

    聖書には、星に導かれて幼子イエスのところにやってきた博士たちは、夢の中で「ヘロデのところへ帰るな」とお告げを受け、別の道を通って自分たちの国へ帰っていったと書いてある。イエスに会うともう今までと同じ生き方ができなくなる、回心するということ。

     三つめは、

    先日大阪から姫路にかえるときの新快速の中でヒントがあった。私がボックス席に座り、残りの席に男性2人と女性1人の3人組が座った。私がマスクをして小さくなって座っていたし、日本語がわからない外国人だと思っていたでしょう。仲が良い3人組は安心して遠慮なくおしゃべりしていたので、実は家庭の秘密を含め様々なことが聞こえていた。そのなかで印象に残ったのが、その中の一人の男性が、認知症を患っておられる義理のお母様をいろいろ手がかかって大変なのだけど家で20年間一緒に暮らしてお世話をして最後は介護もして、みとられたという話があった。他の二人からも良く頑張ったとねぎらわれていた。私もこの人はとても頑張ったと思った。

     大事なポイントは、自分を丸ごと家族のためにささげること。

    自分の命や苦労や時間を家族や人のためにささげることは神様に尊いささげものをすることと同じことである。東方の博士たちは危険を顧みず命を懸けてイエス様のところへやってきた。誰にでもできることではない。彼らは自分たちの命を神様にささげたことになる。新成人たちも毎日家族のために、誰かのために頑張ることは、毎日自分の大切なものを神様におささげしていることになる。大変かもしれないけど、新成人の皆さんにはこのことを頑張ってほしいと思います。もちろん、シスターになりたい、神父になりたい、教会のために働きたいという希望があっても大歓迎です。

    ◆感想

     3人の新成人は、ハルノコ神父様から祝福を授けてもらい、それぞれが、成人の誓いを唱えました。教会からのプレゼントも贈られました。 星を見て、導かれながら人生を歩んでくれるように願います。ともに祈ることができてよかったです。

  • 2026.01.01  マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた

    ◆第一朗読 民数記6.22-27

    ◆第二朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙 ガラテヤ4.4-7

    ◆第三朗読 ルカによる福音 ルカ2.16-21

    ◆ハルノコ神父様のお説教

     新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。昨夜はインドネシアからの学生たちと一緒に過ごした。紅白は見なかったけれど、お酒も飲んで楽しかった。そしてパーティを終えて、0時にはお祈りをしました。

     楽しく大晦日を過ごしたけれど、年が経つにつれて変化することもある。年賀状も昔に比べて少なくなるとか、出す相手がいなくなるとか、昔子どもだった信者が大きくなっているとか、かわいらしかった、今もかわいいけど髪に白髪が混じるようになったとか、人も変化する。そんな中で、感謝すべきことがあることはかわらない。感謝を忘れてはいけない。

     はたらいて、はたらいて、はたらいているのにお給料が増えないとか、がっかりすることもあるでしょう。それでもいいのです。マリア様は私たちのすべてを見てわかって、しずかに心におさめてくださっています。今日のルカの福音にも「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた」と書かれています。イエス様ご誕生の良いニュースを一番初めに告げられたのは、羊飼いたち。当時一番貧しくて虐げられていた人たちにこそ、一番初めに喜びが告げられたのです。

     私たちは人間だから間違いを犯すことがある。でも、許してあげて、許されて、私たちは新しい一歩を踏み出すことができる。キリスト者として神様の前で一つになって、結ばれて、神様に向かって心を合わせることができる。大晦日、元日、多くの人々がそれぞれの神様に向かって神社やお寺で手を合わせて祈る姿を目にすると、カトリック司祭として大きな喜びを感じる。そこには平和があるから。祈りから平和が始まるから、問題があっても、お金がなくても、大丈夫。不安はいつでもあるけど、マリア様のように明るい心で神様に祈る姿勢があればなにも問題はなくなる。

    ◆感想

     不安や問題があっても大丈夫。マリア様のように明るいこころと神様に祈る姿勢があれば問題ない。この言葉に年頭から励まされました。昨年は、特に自民党の政権が交代してから特に政治が悪い、政治家が悪い、社会がよくないほうに向かっていくと感じて不安になり、政治家への不満を募らせていました。

     戦争や社会の不安がなくならないことに対して、どこにどのような問題があるのかをしっかり考えて、その問題に対してキリスト者として声を上げる必要があれば上げるあたりまえの行動を後退させないようにしたいです。しかし、一方でその話題や思いにとらわれがちになってしまい、自分もこころもネガティブにとらわれてしまいがちです。今日ハルノコ神父様に、マリア様の心を説かれ、良い気付きがありました。ハルノコ神父様はいつも朗らかで温かく、神父様からもマリア様の心をいつも感じさせていただいています。私もマリアさまに倣うことができますように願います。

     新年の0時のミサはありませんでした。10時のミサは満席状態で祈りをささげました。1月1日は世界平和の日とされ、「信仰の原点に立ち戻り、すべての善意ある人々と手を携えて、平和な世界の実現に向かって、カトリック信者としての責任を果たしていく」ことが求められています。私は、絶対に日本が戦争しないように、戦争ができる国に向かわないように、自分にできることを考えるつもりです。

  • 2025.12.25 日中のミサ ことばは肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。

    ◆ギャリー神父様のお説教

    イエスの誕生でこの世の悪が打ち払われた。しかし、わたしたちは争いごとや戦争など依然として悪があることに気がつく。イエスのやり方は悪を一掃して、きれいに何もなかったということにするのではなく、その矛盾や罪に向き合い、神様の教えに従って生きようとするときに私たちの中にとどまり、ともにいて、いっしょに働いてくださるもの。

    ◆感想

    イエスの働き方は、世間一般のヒーローやヒロインとは違う。どこまでも深くへりくだり受けいれ、どこまでも近くにいて励ましてくださり、どこまでもつよい。その強さはやはりイエス降誕の神秘と通じると思う。貧しいのに豊かで、弱いのに強く、逆説的だと思う。神様の愛を感じながら励まされ、力付けられ、強くなり、生きていけたら豊かな人生だと思う。自分の弱さや逆境は神様の力を注いでいただくためのお恵みになる。

    ◆トピックス

    ギャリー神父様はフィリピン出身の淳心会の神父様で、2000年に来日されました。大阪の生野教会や堺教会、島根県松江教会などを経て、震災後は青森県、宮城県、岩手県など東北地方で活躍されました。

  • 2025.12.25 夜半のミサ 今日あなたがたのために救い主がおうまれになった

    ◆ハルノコ神父様のお説教

    クリスマスの喜びは、暗闇で不安や痛みを体験した母を思い出すと理解しやすいかもしれない。おなかの中の子供がこの世に生まれ出てくるためには、体験したことのない痛みや不安で心細い。しかしその世に赤ちゃんが生まれ出てくると大きな喜びに変わる。

    イエス様が生まれるとき、そこには産婆もいなければ、医療者も、医療設備もない。貧しい馬小屋でお生まれになり、飼い葉おけに寝かされたイエスに天使や博士、羊飼いたちがお祝いに来て、それもいつかみんな自分たちの場所へ帰っていく。そうなると残されるのはマリアとヨセフとイエスのみ。しかし本当のパーティーはそれから始まるともいえる。

    ◆感想

    イエスさまがお生まれになるとき、時代はローマ帝国が地中海一帯を支配していた時代、その世界の片隅に起こった救い主イエスの誕生の様子が記されている。ひっそりと目立たぬ場所で控えめにお生まれになった様子を想像するとそのすべてがイエスの教えやなさり方と一致する。一番弱い立場でこの世に遣わされたイエスを思い、その神秘を味わい、現代を生きる私に何が響くのか、何が呼びかけられているのか、黙想するとしみじみとうれしい気持ちが湧いてきた。

    ◆トピックス

    ミサ中に一人の小学3年生の女の子の初聖体式がありました。はじめて拝領したご聖体の感想を尋ねられると、「おいしい」と話していました。大きな喜びのミサの中で一人でうけた初聖体式の記憶は種となり、これからの人生を通して大きく育っていくことでしょう。

  • 205.12.21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。

    ◆本日のお説教 ハルノコ神父様

    今日の福音にはヨセフさまの良いところがあらわれている。

    聖書にヨセフさまが登場されることはあまりない。ヨセフさまは静かに、しかし大切な人をしっかりと守り、力になられる方である。マリアが身ごもったことをしり、ヨセフは驚いたに違いない。そして、おなかの中の子供が自分の子供ではないことを知ったに違いない。マリアを守るためにひそかに別れようとしたが、天の声を聴いてマリアが身ごもったことに神様の介在を知り、マリアを守り、迎えようと心に決めた。その静かではあるが芯が強い行動にヨセフさまの良さがあらわされている。

    ◆感想

    イエス様の降誕について、知れば知るほど、毎年味わいが変わるのはそのドラマとその奥深いところに、自分の人生経験や価値観を照らし合わせながら見つめるからかもしれません。赤ちゃんが生まれた、おめでとうというシンプルな祝い方をすることに重点を置いた時もありました。その後もクリスマスの意味を味わう体験を重ねるにつれ、若いときには思いいたせなかったヨセフさまの気持ち(婚約者が自分の子供ではない子を身ごもった状況)などもいろいろと考えたり気が付いたりすることが増えました。今日の福音ではヨセフさまの良さを味わうことができました。そして、人間の男性の強さとはどのようなものか想像しました。静かで大げさなことは言わないけど愛するものを守る姿は愛に満ちる姿です。現代でもこのような素晴らしい男性はいるでしょうが、なかなか現代社会の価値観では気が付きにくいかもしれません。